五眼館

金井宣茂宇宙飛行士が無事地球に帰還!|報道機関掲載記事

ソユーズ乗組員の宇宙飛行士金井宣茂さんの無事地球帰還の2018年6月14日デーリー東北新聞記事イメージ画像

宇宙飛行士 金井さん帰還「仕事ができて幸運」の見出しの新聞記事が掲載されました。
実は、時の人となった金井宣茂さん(41)は、五眼館居合道の館長の愛弟子でもあります。
そもそも、居合道を目指した金井宣茂さんと居合道五眼館館長との出会いは、2004年(平成16年)に遡ります。
当時、金井さんは、自衛隊大湊病院に医師として勤務していた頃に、五眼館館長との患者と医師としての接点から始まったようです。
事項で、居合道を目指しきっかけとなった五眼館館長との出会い秘話を綴ります。

■金井宣茂さんと五眼館館長との回顧録

ここに掲載する記事は、金井さんと五眼館館長との接点を当時の館長の記憶を綴ったものになります。

平成16年1月頃(2004年)、当時私(五眼館館長五戸)は、大湊航空隊に勤務しており、風邪気味で自衛隊大湊病院を受診した際、診察室の金井医師(当時)が 私が入室するなり、「居合道の先生ですか?私に居合道を教えてください!」と請われ、私は、「分かりました。その前に私を診てください。」と言い、後日打合せをすることにしました。

金井さんは、どういう経緯で居合道に興味を持ったかはわかりませんが、弓道の経験もあり、その縁で武道に興味を持っていたところへ、地元紙などの報道等により私のことを知っていて居合道に興味を持ったのだと思います。

金井さんの強く居合道を習う意思を察した私は、稽古用の模擬刀(居合刀)、稽古着等を注文し、平成16年3月より私の勤務している大湊航空隊の体育館で、お互いのスケジュールを調整しながら、週2,3回の稽古が、金井さん熱心さに押され毎日稽古に励んだことも記憶しております。

平成17年4月、私が八戸航空基地隊に移動になった後は、金井さんが、週末に八戸に稽古に来ました。
平成17年9月に宮城県松島町で実施された東北地区段位審査会にて全日本居合道連盟初段及び無双直伝英信流初段を取得し、更なる向上が期待されておりました。
しかし、金井さんが、かねてから希望していた潜水医学の勉強のため米国へ留学することとなり、当初は半年ぐらいの帰国予定が1年半にも及び、帰国後は、防衛医科大学病院勤務となり、居合道の稽古から遠ざかることとなってしまいました。

金井さんが防衛医科大学病院勤務となっても、私、五眼館館長が上京時に子弟としての交流を継続しておりました。
その後は、広島県自衛隊江田島病院勤務となり、地理的影響で疎遠になりました。
平成21年の1月頃と記憶していますが、NHKの報道番組で宇宙飛行士候補990名の中から最終選考に残った10名の映像の中に金井さんを見つけ驚きました。

しかし、決定した2名の中には、金井さんの名前を見つけることはできませんでした。

翌日に、意を決して金井さんに電話を架け、NHKの報道を観たことと、金井さんの宇宙飛行士への夢実現を励ましました。

奇遇なことに、その半年後に金井さんの合格登用の報道があり、先の二人に続いての訓練、半年遅れの航空機操縦訓練等のハンディを乗り越えての宇宙飛行士認定に心から敬意を表します。

平成23年7月に金井さんから、宇宙飛行士認定のためJAXA(宇宙航空研究開発機構)に来るので、挨拶に来たい旨の電話があり、30日・31日に、八戸に来られ、五眼館居合道道場で稽古に汗を流し、歓迎会を居合道のお弟子さんと共に、金井さんの夢である宇宙飛行士として宇宙に旅立つことへの第一歩を祝福し、居合道魂の懇親を深めました。

平成29年12月のソユーズ打ち上げでの、ISS(国際宇宙ステーション)での活動と、そして地球への帰還の様子をNASA(アメリカ航空宇宙局)、JAXA経由の中継を五眼館でも見守ることができました。

私の指導方針の一つである「在平素」と、日ごろの稽古で常々言っている「残心」が、彼の心に強く残っていて、それが毎日の厳しい訓練や、ミッション達成のよりどころとなったのであれば大変うれしいことと思います。

■五眼館館長の説く「残心」とは?

読んで字のごとく、「心を残す」ということですが、流派によって、考え方が違うところがあります。
私の修行している居合道「無双直伝英信流」では、事が終わった後(勝負がついた後)でも、油断することなく、相手に対する備えを怠らない事、またその相手のみならず、周りにも潜んでいるかもしれない相手(敵)にも警戒することです。

また、平常においては、これで終わりと思う仕事でも、やり残し、間違い等がないか、注意深くすることです。

金井宇宙飛行士も、その心構えでミッションに臨んだと確信しております。

 

<< 報道機関掲載記事|五眼館活動情報のページに戻る