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◇ こちらは学校の生徒・児童さん方からの、素朴かつ率直な質問の記録です ◆
◆ 宜しければ宿題、自由研究のまとめにするなど、参考になさってください ◇




三嶋神社はいつからありますか?
   
   伝承によれば、807年平安時代からあるとされます。はじめは現在のような建造物ではなく、ほこらのような、お宮の形を模した小さなものであったと思われますが、一人の熱心な信仰者により崇拝されたことからはじまり、その後地域住民たちが知恵とお金を出し合い、資材を持ち寄って協力し、少しずつ手が加えられ誰もが信仰崇拝できるような神社として造られていった、神社の起源を紐解けば、そういうトコロからすべては始まっております。    どんな種類の神様がいるのですか?
 どうして「三嶋」という名前なのですか?
   日(太陽)の神、水(雨)の神、大地の神、海の神、火の神など、人間が必要とし、それなしでは生きていけない、すべてにおいての絶対的な神様がいるとされます。当社には外難守護(がいなんしゅご)、禍(わざわい)、災厄をよける神様がおります。
「多紀理毘売命」たきりびめのみこと(沖ノ島)、「多岐津比売命」たぎつひめのみこと(大島)、「市寸島比売命」いちきしまひめのみこと(田島)と、三つの島に鎮座する神様の神社として、そのような名が付けられた、とされます。    神様はどこにいらっしゃるのですか?
 男の神様、女の神様はいますか?
   神様は「降りてくる」、と表現されます。つまり、私達の生きる世界にはいない。そして「どこにいるのか?」を人は誰も知らない...ということは、私達に居場所を伝えてくれない、とも言えます。しかし、目に映らないが私達の心に映る神様、という認識を持つことができるなら、それでいいのかもしれません。人は間違えますし、時には過ちを犯します。だが、神様が心の中に映るからこそ、それらを繰り返さないよう、なおいっそう信仰を正しく育むこと大切なのです。
 例えば「七福神」と称される神を例に、男の神様6体、そして弁天様という女の神様が1体おります。神といえば男、のイメージがありますが、今にして思えば、神はすべてに一貫した存在であって、性別が重要なのではありません。    三嶋神社はなぜこの場所にあるのですか?
 三嶋神社の建物は、現在何年経っていますか?
   すぐそばが海、であることから、第一に「外難防御」、の役割があったとされます。つまり海から侵入してくる外敵から身を守ること、そして海の幸豊かに、この地域が食べ物に困らないよう、などの理由からこの場が選ばれた、と伝えられます。
 神社本殿の一部は残っていますが現在は使われておらず、本殿が含まれた拝殿自体は1849年、火事により焼失したようです。よって新しく建て直されたものから換算すると、173年(およそ200年余り)の月日が経っております。    神社の建物はなぜ豪華で立派なのですか?
 どうしてお寺には鳥居がないのですか?
   豪華絢爛で荘厳な佇まい...それは人から神への最大限のおもてなしを表し、悩める私達の元へときには降りてきて、そして見守って頂きたい、そういう強い願望が豪華さと絢爛さを作り出し、あのような建造物となっているようです。
 神社とお寺の違いは何か?を考えると、神社は神様が行き来し願いを伝え聞いて頂く場所、お寺は亡くなった人を弔い、送る場所です。「生と死」という観点から言えることは、神社は今生きている人のために、そしてお寺は亡き人のために、という大義があります。よって、鳥居をくぐり神前へ向かう...その聖域に足を踏み入れることができるのは神様と、生を受け過ごす人間であり、亡き者や悪霊はそこをくぐることはできません。    神社の鳥居はどうして"赤い"のですか?
 入口にいる、狛犬について教えてください
   赤、という色は、注意を引き付けるカラー、とよく言われますように、鳥居もまた注意を向けるため赤色になっている、と言われます。つまり神社において、その鳥居をくぐった先は境内地という聖域、ここから普段と違う場所ですよ、という注意を促しているのです。
 中国の獅子から仏教の流れで伝来したもの、とされます。仏教の羅漢仁王像と似たような理由で、鳥居の両側に鎮座し門番の役割を果たす、とされます。
「犬」と命名されますが、前述のとおり獅子として伝来したものでしたが、獅子を知らない当時の日本人がそれを犬と解釈し、狛犬(こまいぬ)として設置されたことから始まった、と言われています。
   どうして手水舎の口が龍(りゅう)なのですか?
 お守りの中には、何が入っているのですか?
   私達は自然の恵みを受け、与えられ生きています。それは「水」も同じことです。龍は架空の動物でありますが、そういった想像上の動物を「神の使い」と崇め、水という大切な資源を架空の動物つまり龍が運び、恵んで頂いている、龍の口から水が溢れ出る、というのは、そのような考えのもとにあります。
 お守りの中を開けてご覧になって見てください。目に見える「モノ」は、そこに何も入っていないと思いますが、お守りに記される「心」が入っています。モノではなく、その心を持ち歩くから「お守り」と言われます。    お賽銭(さいせん)は何のためにするのですか?
 神社にある看板「源氏囲内」とは何ですか?
   神社ではそれを「奉納」と言いまして、自分の持つ何かを捧げ、祈る、という習慣です。仏教ならお布施、教会ではお給料の何割かお気持ちを寄付する、そんな「行い」のひとつです。お賽銭もまたしかりで、手を合わせることは祈ること、祈るためには、まず自ら何かを捧げる、捧げずして「叶い」はないから何らかのアクションを起こす、願いを伝えるためのしるしこそが、お賽銭です。
 敗走に追われた源義経が立ち寄り、通った路(みち)、という伝承のことですが、現在言い述べられる有力な回答は「分からない」です。これについて、「ツチノコはいるのですか?」であるとか「12月25日にサンタクロースは本当にやってくるのですか?」の質問と同様です。しかし、一見不確かなことでも、得てして大切なことがあります。それをファンタジーと呼びます。ファンタジーは期待を胸に膨らませ、見る人を前向きに、そして希望や高揚感をもたらしますので、悪いばかりか、良いことをもたらします。分からないからワクワクする、どうなのだろう?と考える。そういう気持ちも人間には大切でありますための「源氏囲内」、という解釈であると捉えてください。    どんなことを大切にして仕事をしていますか?
     神職のすべきことは神社の管理そして奉仕ですので、お仕事、とひとえに言いきれない側面がございます。奉仕する、ということは、ときに見返りを望まず、誰かのために、何かのために、そして神のために動き、考え、実行する精神です。そのような「行い」は得てして難しい課題でありますため、そんな行いを実現しようと努力・まい進するのが神職の務め、と思い奉職しています。
     
     


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