『博士の愛した数式』 小川 洋子

80分間しか記憶が持たない博士にとって、「私」は常に新しい家政婦。毎日がはじまりであり、出会いであるということは、考えようによってはすばらしいことのように思える。なぜなら、嫌な記憶をなかったことにして、ゼロにすることができるのだから。まあその代わり、ふれあい、理解し合った記憶も巻き戻されるのだが…。
そんな、何も蓄積されないような関係でありながら、「私」のなかに恋愛とも肉親愛とも違う感情が芽生える。「私」の息子ルートを中心に、博士と結ばれた友愛数のドラマが、読むものをやさしい気持ちにしてしまう一冊。
数学に苦手意識を持った人でも、そこに内包されている新たな側面を見出すこととなるだろう。フェルマーの最終定理やオイラーの公式、江夏豊を巡る完全数28の挿話に、思いがけず魅せられている自分に気づかされる。いままでこんな本があっただろうか。藤原正彦氏の言葉を借りれば、これはまさに「数学と文学を結婚させた」物語なのである。

『ホテル・アイリス』 小川 洋子

小川洋子を知るきっかけが『博士の愛した数式』であった読者は、いささか勝手の違う作風に戸惑うこととなるだろう。
女性特有の身体感覚で描きながら、ねっとりとしたしつこさがなく、少女の身に起きたひと夏の出来事を、さらりとした語り口であばいてゆく。
内耳を震わせるように、男の命令する「声」に惹かれる少女。物語は導入部から、研ぎ澄まされた五感の世界を展開する。たとえば、椿油の匂いに対する嫌悪と羞恥、血痕に染まったぼろぼろのスカーフへの執着、さらには、舌にざらつくスープの食感にいたるまで、あらゆる器官を総動員して、「翻訳家」を嗅ぎ分け、貪欲に味わおうとする少女の所作は、あまりにも本能的だ。それでいて、隅々まで観察する冷静さも彼女は持ち合わせている。ぴいんと張り詰めた、痛々しいまでの感性は、同時に作者自身のものなのだろう。
一見、官能小説を思わせる描写だが、「干涸びた茸のような匂いの靴下」や、「老いを含んで乾いた唇」では、到底甘美とは呼べない代物だ。しかし、だからこそ、そこに動かしがたい現実がある。醜いものに辱められたいという衝動は、抑圧された心の裏返しなのだろうか。17歳の少女と老人の歪んだ関係も、見方を変えれば純愛になる。いやむしろ、モラルも常識もかなぐり捨てて突き進む姿に、穢れは微塵もないのかもしれない。

『錆びる心』 桐野 夏生

同じ著者の作品では映画にもなった『OUT』がもっともポピュラー。『OUT』が大胆で血なまぐさい狂気だとすれば、こちらは静かな水面下の狂気。どちらも読んで、初めて桐野ワールドの奥深い襞を知ることができるだろう。
表題作の他に『虫卵の配列』『羊歯の庭』『ジェイソン』『月下の楽園』『ネオン』の5作品収録。
ここで注目するのは表題作よりむしろ『虫卵の配列』である。微生物を思わせる主人公のネチネチとした偏執狂ぶりは、びっしり並ぶ虫卵のように不気味。一般に女性は体温が高く、なま物を扱うには不向きとされているが、この主人公の怜悧な冷たさに、もしかしたら女には、青い血が流れているのかもしれないと錯覚させてしまうところが凄い。
「虫卵」「配列」「羊歯」「錆びる」というさむざむとした語感に、人間の、隠されたもうひとつの顔が浮かび上がってくる。

『パルタイ』 倉橋 由美子

あらゆる処女作がそうであるように、『パルタイ』もまた、倉橋由美子という才質の源泉を湛えた秀作である。収録された全五作品(『パルタイ』『非人』『貝のなか』『蛇』『密告』)に漂うアンニュイな雰囲気。違和感という微熱に突き動かされる主人公の、どうしようもなく崩壊へと向かってしまう衝動を、身体感覚で描く。
生活感の希薄な、妙に嗅覚だけは敏感な主人公が、パルタイ(英語のパーティと同義、ここでは暗に共産党を意味する)という組織に入会するのだが、どうしてもなじめない。唯物論者たちの巣に取り込まれる観念論者、とでも言うべきか。内側からふつふつと湧き起こる生理的な嫌悪は、やがて頂点に達し、不毛な接触の当然の結果として破綻する。思想的に異なるというより、存在そのものがかけ離れている「わたし」に対して、彼ら党員は、ただ驚愕の眼差しを投げかけるのみ。
80パーセント以上がカミュの文体の模倣であると、著者自らが語る表題作。理由のない苛立ちが、次第に発酵してゆくさまは、確かに不条理劇を思わせる。しかし内容面に限って言えば、カミュとの相似を、より色濃く感じさせるのは『密告』でなかろうか。『異邦人』において、ムルソーを説諭する司祭と、『密告』における校長代理は、極似している。押しつけがましい無理解なやさしさは、主人公の心中を揺さぶることなく素通りするばかり。
その他、総意の中で孤立する不安(『非人』)や、イクラ、スジコ、タラコと、名前からしてなまなましい生態の同室者たちとの葛藤を描いた『貝のなか』、蛇を呑み込んだことで、蛇に呑み込まれる男の物語(『蛇』)など、その自在な発想力に驚く。安部公房を彷彿とさせる、シュールな世界。

『恋』 小池 真理子

学生運動が、多くのセクトに枝分かれしていった70年代前半を舞台に、助教授夫妻と女学生との奔放な三角関係、それによってもたらされた悲劇を描く。
著者自身、浅間山荘事件をさかいに心境が変化したと述懐しており、言わば彼女の原風景とも呼べる作品である。
表紙カバーの、歪んだ「恋」という題字、両性具有の彫像は、本書の倒錯した世界を象徴するかのよう。主人公は信太郎、雛子夫妻に利用されただけではないのか。事件のあと、マルメロの木の下で穏やかに暮らす二人の姿に、釈然としない後味が残る。
主人公の暴走によって、ようやく煩悩を解脱したふたり。その平穏が、主人公の一方的な献身という犠牲の上になりたっているのは、なんとも皮肉な結末である。
あの頃の学生たちの、四畳半的閉塞感、それに対峙するプチブルの描写は、時代を共有した著者ならではのものであろう。

『美は乱調にあり』 瀬戸内 晴美(寂聴)

社会主義に興味のない人でも、大杉栄の名なら一度は聞いたことがあるだろう。が、甘粕事件で共に虐殺された伊藤野枝の名はあまり知られていない。本書は野枝の壮絶な28年の生涯を描いた力作である。
猪突猛進型、バイタリティ溢れる野枝であったが、常に自己変革のスプリングボードとして男の力を必要としなければならない、むき出しの女≠ナもあった。時は平塚らいてうを主宰とする『青鞜』が発刊された頃、女権運動の幕開けと重なる。翻訳家の辻潤から、アナーキスト大杉栄に走った野枝。辻との間にもうけた二人の子どもをいとも簡単に棄てている。既成の道徳観念も、母性も世間体も、愚行の抑止力にはならなかった。浅薄な知識を振りかざし、理性のかけらもデリカシィもない女。こんな女のどこが良いのかと首を傾げたくなる。しかし、彼女の向上心には目をみはるものがあり、こうと決めれば持ち前の度胸と野性で突っ走るところは、煮え切らない辻や、ねちねちと嫉妬に苛まれる神近市子と好対照と言えるだろう。
本書はこの時代の政治や思想的な流れを知りたい人には、うってつけのテキストである。また巻末部分の、いわゆる「葉山事件」の場面は、市子の懊悩する女心を繊細に、センセーショナルに描き切って見事というよりほかない。野枝との同棲生活を綴った辻潤のエッセイ『ふもれすく』は、ネット上で全文読むことが可能。興味のある方は検索されたし。

『地を這う虫』 高村 薫

サスペンスの女王が描いた唯一の短編集。警察官という、云わば潰しの利かない職歴を背負った主人公たちの、それぞれの「その後」。
表題作の他に『愁訴の花』『巡り逢う人びと』『父が来た道』の3作品収録。
「元」警官の習性を、その後の人生でずるずる引きずっている後ろ姿が物悲しく、男の不器用さを描くには、より効果的な設定と言えるだろう。ありがちな風景を切り取っていながら、一個人では抗いようのない、大きな力、世の中というものを捕らえている作品群。社会派と呼ばれる著者の、醒めた視線が光る。
なかでも『愁訴の花』は佳品で、著者の力量を窺い知ることができる。組織という名の怪物に押しつぶされ、妻殺しの汚名を着せられた小谷、真実をあばくことに無意味さを覚えながら、追究しないではいられない元警官田岡、上からの圧力と部下との板ばさみに苦しむ上司須永…。三者三様の葛藤をリンドウの花に託し、決して語られることのない真実を、なおも深い霧に包んだ結末が見事。
謎を解き、犯人を燻し出す、一件落着型のサスペンスとは異質な世界。サスペンスは苦手という人でも一読の価値あり。

『凍える牙』 乃南アサ

女にとって警察という男社会は、居心地の悪い職場である。女なら気を利かせろ、女のくせに可愛げがない、だから女は使えない…。男と同等以上の能力を持ちながら、肩身の狭い思いに堪えてきた女刑事音道貴子は、叩き上げの滝沢と組み、時限発火殺人事件を追うことになったのだが…。
一方の滝沢は、くたびれた中年デカ。おなかの突き出た容姿はまるで皇帝ペンギンで、女をお飾りとしか思っていない。ギクシャクと、最悪のスタートを切った二人が、やがてお互いを認め合うようになるという予定調和も、雪解けを思わせる柔らかな語り口の妙であろう、さほど嫌味を感じさせない。
容疑者、目撃者、被害者、刑事、さまざまな人間が登場するなかで、オオカミ犬「疾風(はやて)」の存在は際立った色彩を放っている。新潮文庫版の解説文を借りて言えば、「本来牡(オス)が持っていなくてはならぬすべて」を持っている疾風の、気高さ、威厳というものに圧倒されっぱなしで、主人公以上に魅力的であったと言っても過言ではない。
疾風が捕獲されて以降の最終章は、やや冗長で説明的。音道刑事を主人公にした、新たな物語を予感させるエンディングだが、できればシリーズ化なんてことはやめてほしいと、密かに願う。

『結婚詐欺師』 乃南アサ

自他ともに認めるしっかりものの女性が、いとも簡単に騙されるお話。
なにしろ相手はプロの結婚詐欺師、女は恋愛のつもりでも、その男、橋口にとってはビジネスであって、出会いの場面設定からため息のタイミングに至るまで、すべて計算されたものなのである。ビジネスにはそれなりの投資が必要だし、イメージキャラクター(橋口自身)の演出や小道具と、契約を結ぶための苦労を惜しまない。契約が一つまとまると、一千万、二千万の運転資金が得られ、万が一取りこぼした場合に備えて、保険もかけておく周到さ。まさにこれは事業なのだ。橋口の言葉を借りれば、不満で青ぶくれした女たちに夢を与える、ライフスタイルコーディネーター、ということになるらしい。かつらを奪われ、冴えない中年男の正体を曝した橋口から、「クライアント」「企業秘密」という言葉が発せられる様は滑稽極まりないが、何故か女たちは一様に彼を庇い、この期に及んでなおも自分は愛されていたと信じている。ここまでくればあっぱれ! 詐欺師冥利に尽きるというものだ。
さて本書は、この橋口を追う刑事、阿久津と、その元恋人を描くことによって、浮薄なサスペンスとは一線を画している。好きな人の老けてゆく姿を見たくなかったという、元恋人の微妙な心理。警戒心の強い彼女の心を融かしたものはいったいなんだったのか。橋口にはあって、阿久津には欠けていたもの…この辺を探るのもおもしろいだろう。ただ、酒に溺れ自滅してゆく阿久津の、あの劇的な変化は何ゆえか、理解に苦しむ。

『レベル7』 宮部 みゆき

記憶を失った男女と失踪した女子高生の軌跡が、並行しながらやがて一本の線となり、凶悪な犯罪の全貌が明らかになってゆく。
「レベル7まで行ったら戻れない」「トーテム」、ミステリアスなキーワードに興味をそそられ、知らず知らずのうちに書き手の術中に引き込まれてしまう。読み手までもが霧の中をさまよい、明かりを頼りに歩いているような錯覚を覚えるのは、超絶技巧のなせるわざか。
著者も言及しているように、アイディアはオーソドックスで目新しいものではない。しかしながら、その切り口に、そのプロセスに、著者ならではの斬新さがある。
ただ残念なのは、後半のくだりで主要人物が一同に会し、謎解きをするシーン。めでたしめでたしの茶番は陳腐と言うよりほかない。これまでの緊張感、張り巡らせた伏線が、台無しになったという感は否めない。
ふところの深さに定評のある宮部みゆきの井戸は、尽きることを知らないようだ。常に「いかに描くか」ということに主眼を置き、楽しませてくれる。語り手が財布という、実にユニークな手法で描かれた『長い長い殺人』、こちらもオススメの一冊である。

『長い長い殺人』 宮部みゆき

連作短編という形態を取りながら、実は長い長いひとつの物語であるという構成。しかも語り手は「財布」という驚くべき発想。
しかし、ただ奇抜というだけでは読者の心をつかめない。この作品の秀逸さは、人間ではない無機物に語らせていながら(財布が見聞きしたことのみで物語を進めるという暴挙)、破綻なく巧妙にひとつの物語として完結していることにある。
二重三重にトリックをを仕掛けるばかりがサスペンスではない。常に冒険を試みる作者の実験的作品であり、後年、これを叩き台として『模倣犯』という作品が結実することを思えば、実に興味深い。
そしてまた特筆すべき点は、財布それぞれの、持ち主とリンクするような十人十色の性格である。物語の中には強請屋も登場すれば犯人も登場するが、彼らの財布はなぜか一様に善良で温かい。宮部自身の人間を見る視点の温かさと言えるであろう。

『模倣犯』 宮部みゆき

前代未聞の劇場型犯罪。演出家気取りの犯人が、観客である「大衆」に届けた最初のメッセージは、なんと女性の右腕であった。
自尊心肥大症とも言えるピース≠フプライドは、ガラスのように脆いものであったが、その周囲を明晰な頭脳で包み込み、警察やマスコミはなかなか彼に辿り着けない。片や、人間狩りという快楽に取り憑かれたもう一人の男ヒロミ。彼は幼年期のトラウマに翻弄され続け、次第に殺人の自家中毒に陥り、人格を崩壊させてゆく。当たり前の神経の持ち主であるわれわれには、罪の意識に苛まれるヒロミは理解できても、感情を凍らせてしまったピースのことなど理解できない。実のところ、作者である宮部氏自身が、ピースの人間像を描き切ってはいないように思えるのだがどうだろう。あれだけ用意周到な男が、次々とポカをしでかして自滅する展開は、どうにも納得がいかない。(第一、声紋が割れているのに、のこのこメディアに登場する馬鹿がどこにいるだろう!)
人を殺しても眉一つ動かさない冷血、プロセスを愉しみ完成品を観賞する趣味人の余裕、自分の行為を客観視する冷静さ、自尊心を傷つけられると思考が停止してしまう、唯一の欠点…。ピースという素材のおもしろさは、ひと言で言い表せない。
最後に正義は勝つという定石通りの結末。「本当のことは、どんなに遠くへ捨てられても、いつかは必ず帰り道を見つけて帰ってくる」というきれい事で、締めくくられてしまった感がある。サイケデリックな期待を寄せて読み進めてきた一部の読者は、ここで大いに落胆することとなるだろう。私自身、この展開が予測できた時点で失速してしまった口である。ピースが片頬を歪ませてほくそ笑むエピローグ。それはそれで悪くなかったんじゃないだろうか。悪趣味な輩に付き合う義理も筋合いも、作者にはまるでないのだが…。

『翼 cry for the moon』 村山 由佳

少女時代のトラウマに捉われた主人公が、逆境のなか追いつめられながらも、ひとりの青年との出会いによって、生きる希望を見出してゆく。
『天使の卵』『BAD KIDS』に一貫して見られるテーマは「喪失」である。それゆえに、ハッピーエンドは描かない作家というイメージが、すっかり定着したような感さえあるが、じっくり読み味わってみると、破滅的な展開をみせながらも、最後にひとすじの救いがあるのもまた、彼女らしい手法である。
とは言うものの、父親の自殺、母親との断絶、学校でのいじめという過去を持つ主人公が、結婚式当日に伴侶を失い、継子を抱え、姑、小姑にいびられ…これでは不幸のオンパレード。欲張り過ぎたことが、かえって物語に水を差して、軽佻浮薄の印象を与えたのは残念である。
若い世代の代弁者と目される著者だからこそ、次回は、最小限のソースから物語をふくらませるような作品を期待したい。

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