① 父政秀の葬儀
 
万松寺では、四月の上旬、桜は八分咲きで、八分咲きが一番の見ごろだという人もいた。
 長男の信長に美濃の国王斉藤道三の娘奇蝶(濃姫)を迎え、わが家の基準を安定させるなど、作戦上手でもあった信秀。
 無理な政治結婚でもなかった、お濃も信長も相思相愛でお互いに愛し合っていた。
 しかし、人の命は測り知れないもので、信秀は卒中で急死したのだった。
 葬儀がしめやかに行われていた。十七才の信長を喪主に定め、大雪という和尚を導師に、三百名ほどの僧侶による読経が本堂を揺るがしていた。
 ところが、何ということか、喪主席に喪主がいないのだ。朝から鷹狩りにでかけ、時になっても帰ってきていない。焼香の儀が来ている。
「平手殿、若殿はまだでござるか」 
「はっぁーそう言われても…それがしにも、それはもさっぱりと…」
 信長の守役の政秀はそう答えるしかなかった。焼香が始まった。
 と、その時、
「若様がお見えになりましぞ」
 というこえが聞こえた。皆はほっと胸を撫で下ろした、が、信長の姿をみてあきれた。狩りのままの姿で袴を付けず、胸をはだけ、腰には縄帯。そんな信長は、ずかずかと本堂に入って来て、中央の焼香を鷲掴みにして、「喝!」と白い布を被っている信秀に向かって投げつけた。
『若殿はご乱心なされたか」
 政秀は慌てて信長の腕を引いたが、
「どけっ」
 と言って本堂から出て行ってしまった。そんな信長の行為が城中だけでなく、町民皆に知れ渡り、信長は、『うつけもの』のレッテルを貼られていたのだった。
 
 ② 政秀自刃

「今日は、ほんとにお珍しいことでございます、殿がお茶を召し上がりますのは」
 信長は珍しくお茶をたてていた。お濃は信長をからかうような目つきで夫をみている。
「うむ、せっかく梅が咲いたのに、ウグイスめが来ないとはな、そちのようにきれいに咲いたのに…見てやらぬと思い…」
「まぁ殿、ご冗談を、おっほほほ…ここには殿のような乱暴なお方がいるのですから来るわけがございません」 
 信長はお濃からどんなことを言われても怒ることはなかった、それだけお濃を愛しているからである。
「わしはウグイスからまで嫌われているのか、えぇ?お濃」
 二人だけである。お濃の手をとり柔らな体を引き寄せようとしたときである。廊下を走ってくる音がした。 
 お濃から手を放した。
「申し上げます」
 見ると若い武士が平伏している。
「なんだ慌てくさって、何事だ」
「申し上げます、今晩政秀様が割腹して果てましてございます」
「なんだと?」
 信長はとたんに顔色が変った。
「ほんとか」
「なんで偽りを申しましょう」
「ばかもの、なんでもっと早く知らせなかったのじゃ、なにをグズフズしていて早く知らせなかったのじゃ、死んでから知らせに参っても間に合わんわ」 
 心の動転を表す言葉が連発した。
「馬をまわせ」

 政秀の屋敷では、政秀は白装束姿になっていた。
「じぃ、じぃ~」
 もちろん死人が返事をするわけではない。小さい頃から、じぃに育てられた、わがままを聞いてくれた。父の激しい怒りのときも、じぃはわしをかばってくれた。だが今までじぃに感謝の気持ちを表に出したことは無かった。でも、じぃは分かってくれていたと思ってた。こうなる前に、じぃに本当のわしの気持ちを知らせておきたかった。
「じぃ、悔やんでも悔やみきれぬぞ、なぜ死んでしまったんだ」
 知らせに来た若武士が、無言で政秀の『諌死状』を差し伸べた。
 諌死状には、

「―― 政秀不肖にしてお諫め申すに力足りず、よって自刃仕り候。
不愍と思召し候わば、次なる一か条なりともご用意くださるにおいては、
草葉の陰にてこれほどの満足無之候 ――」

 読んだ信長は、
「最上の布団に寝かせ」 
 と言って玄関足を出て行った。馬に飛び乗って激しくムチを入れた
 政秀は、信長の乱暴な行為をしていたため、それをいさめて自刃したのだった。
 信長は政秀を弔うための『政秀寺』を建立した。それ以来信長は人が変わったように、乱暴行為だけはしなくなり、大人になったようだった。

 
 斉藤道三
 妻のお濃は、蝮の道三の娘である。
 あるとき道三が信長に、会見を持ちたいと言ってきた。信長もお濃も、道三はどんな人かをよく知っていた。隙を見せれば一気に噛みつかれるおそれがあるからだ。たとえ娘婿であろうと、道三の血は容赦しない。
「出かけない方がよろしゅうございませぬか、私は心配でございます」
 お濃は言っている。
「ん、わしがそうやすやすと殺されてたまるものか」
 信長は自分を知ってもらいたい、というところもあってか、ぜひ会ってみたいものだと思った。

 会見に臨んだ信長は、鉄砲隊弓五百、長槍隊五百、歩兵群、計千八百人を率いて道三の屋敷に赴いた。
 道三は驚いた。驚いたどころではない。全然歯が立たないことを知った。
 帰ってから心配しているお濃に、
「姑はなにも言わなかったんだが、わしを認めてくれたわ、わしは嬉しくなってな…」
 信長が戦法に用いた鉄砲に目を付けていたのが、甲斐の武田信玄だった。彼は信濃の大半を平定していて、今は上杉謙信と対抗していた。

 
④ 木下籐吉郎
「殿、駿河の今川が昨日駿河を発ったようでございます」
 台所頭の木下藤吉郎が廊下から信長を仰いで言った。
「猿、間違えないな」
「はい、手の者によく命じておりますから誤りはございませぬ」
「うむ」
 二つ年下のこの猿に似た藤吉郎は恐ろしく気の利く男だった。一言言えばびんと響いて二つ三つ先まで考え出す才能を持っている。
「猿、敵はどのくらいを持って攻めてくる」
「二万五千位かと思われます」
「うむ、猿これからはじかにわしのところへ来るがよい大事なときだからのう小姓どもにの言いつけておく」
「ありがとうございまする」
 猿は深深と頭を下げた。とうとう主君の部屋に伺う許しが出たのである。彼はえらくなろうと思う野心もあったが、他の者たちの嫉妬心も心配だった。
「遠慮なく参れよ」
 優しく言って信長は立ち去った。

 さて信長は、今川の攻撃に対してどのような戦法を取ればよいか迷った。敵は三万に対してこちらはせいぜい四千人、偽兵(百姓)使ったとしても五千、それらをどう使うかだ。織田家には人を上手く使うような者はいないか…。
 はっ居た!、あまり近くに居たので気づかなかった。猿だ!どうしてこれに気づかなかったのか、
「おいっ誰かいないか、猿を呼べ猿をすぐに連れてこい」
 大声でどなった。
 まもなく藤吉郎は部屋の入り口に平伏した。
「もっと寄れ猿、そこでは話が聞こえんぞ」
「ははっ」
 藤吉郎はことの以外に驚いたようで、緊張した面持ちでそばに寄ってきた。もともと人間は信用できるものではない。利につくようにできているものだ。この男は最高に利につく。この男の全力がすばらしい考えを生み出すだろう。
「猿ッ」
「はっ」
「よく聞いてわしに力を貸せ」
 信長は義元対策の戦略方略を熱っぽく語った。藤吉郎もしだいに顔が紅潮し、眼(まなこ)も異様な光をおびてきた。もっともよい二人の頭悩回転しているのである。
「手を上げろ、堅苦しい格好はやめろ」
「はっ」
 顔を上げたかと思うと、今度は腕組みをした。もともと遠慮のない男である。
「お主は野武士の頭とわたりがつくか」
「つくどころではございませぬ、わたくしめの仲間のようなもので、蜂須賀小六というものは四、五百名の手下をもっております、小六を動かして野武士を集めると、二、三千人になりましょう。それに百姓の元気の良い者を加えれば、殿のおっしゃる人数に達しまする。」
「うむそのほう、手筈を整えてくれるか?」
「必ず、ととのえまする」
「猿、そのほうつき合いが広いな」
「偽兵の方はおまかせください」
「うん、銭はいくらでも使え。織田の身上をつぶしても構わぬぞ、人手も存分に望め」
「勝たねば美味い酒が飲めませぬ」
 藤吉郎の頭脳は信長に匹敵するくらい鋭いのは、信長のように築き上げたものではなく、生まれつきのものだった。
 桶狭間の合戦では、今川義元の首をとった。幸いにも雨が見方に付いた。戦いは木下藤吉郎の作戦が有利に動くはずだったが、その作戦も労せずしてものにした。

 
⑤ 蜂須賀小六
 墨俣築城美濃の攻略には手をやいた。何としても手に入れたい信長は藤吉郎を呼んだ。
「すべておまかせください」
 藤吉郎は言った。

 籐吉郎は小六のところで
「今度も大いに働いてもらいたい、力を貸してくれ」
 小六は、桶狭間以来五十貫で信長のところで仕えるようになっていた。
「今度は墨俣であろうよ」
 桶狭間以来友達のような言葉で云うようになっていた。
「ほう当ておったのう」
「いくら出す」
「小判五百枚と銭千貫ではどうだ」
 信長から銭は惜しまないからうんと使えといわれている。藤吉郎はじぶんの懐には一枚も入れない、信長からいわれた額をそのまま言った。
「ほう信長公は気前がいいのう、おことという人も」
 小六は藤吉郎の大きさを今更のようにながめた。
 藤吉郎はもうひとつ褒美の条件を付けた。美濃を奪った場合、頭分を信長の家臣にするというのである。
「きっと成し遂げましょうご安心くだされ」
 小六は、いつの間にか丁寧な言葉になっていた。
 築城の戦略によって美濃を攻略し、斉藤家三代の稲葉山城を手にした信長は、一帯を『岐阜』に改名した。岐阜の城下町を整備するとともに家臣やその兵を城下に常任させた。また『兵農分離』も行った。

 
⑥ 徳川家康
 桶狭間の勝利は驚いても驚きたりない。このことがあって一年が経過した。
 松平元康(後の徳川家康)はまだ残っている。今川家と織田家の間に挟まれての自立は危うい、どちらかについたほうがよいと思った。散々考えた末、新勢力の織田につくことにした。

 元康は三河刈谷の城主水野忠元に取り持ちを依頼した。
 信長は、占領していた誉母など四城を奪ったうえにしゃあしゃあと同盟を申し込んでくる元康のずうずうしさに呆れた。
 しかし、元康と同盟をすると、東から今川にも甲斐の武田にも攻め込まれる心配はなく美濃攻めに専念することができる。これも元康の計算のうえでの同盟か。信長には五分五分だと思った。信長は承知した。

 昨日までの敵と清洲城の大広間で会った。
「元康殿お久しゅうござるな」
 信長の疳高い声。
 元康は子どものころ、一時織田家に人質になったことがある。二人は何回か顔を合わせていた。
「これはまったく、お久しゅうございます」
 丸顔の元康はいんぎんに頭を下げた。声は低く静かだ。
「お主がこのような若大将になられるとはな」
 顔かたちで自然と信長が兄、元康が弟であった。
「福々した若大将だが、なかなか抜け目がないのう…、まぁそれくらい抜け目がなくてはこれからは生きぬけないわ」
 と、優しい目して嘲笑した。自分と氏真とを天秤にかけたことを言っているのだが…。
「まことに申し訳ないことをいたしましたが、これからはご不利なことは決して…、ご安心願わしゅうございます」
 声にも目にも誠実がこもっていた。真実元康はこの者には、はるかにおよばない“光”のようなものを感じた。信長も元康の目をみて相手の心を諒解した。もう何も言うことはなかった。
 誓い文を取り交わしやがて酒宴になった。

 元康はこの二年あと家康と改名する。
 
 美濃の攻めは一向に埒が行いない。攻めても弾かれ二度失敗している。
 信長は藤吉郎を呼んだ。
「全部わたくしにお任せ下さい」
 全部を任せてもらえると、やりやすいのである。
「よし、全部任せたぞ。金ならいくらでも使え」
 気前のいい信長である。
「小判五百枚と銭を千貫いただきとうございます」
「それで足りるか?小判は千貫にいたせ」
 どこまでも気前がいい。
 ―― こんな社長に会ってみたいね…アントニオ省三的に… ――
 この金をすべて蜂須賀小六に使った。蜂須賀小六は。藤吉郎は自分の懐に一銭も入れない正直なこの男に、ただただ感心した

 
⑦ 明智光秀
 お濃と二人、夫の顔をうかがっていたお濃。
「重兵衛光秀をご記憶のことと思いますが」
「そちの従兄弟の光秀か?会ったことはないが覚えとるぞ」
「お抱え、いただきとうございます」
「そちが云うからのは抱えようもするが、できる男か」
「はいできると思います、殿がどのようにご覧になるかは…。厄介になっていた朝倉家を出された由にございます」
「よし、連れてまいれ、よく確かめないとな」
「待たせてございます」
「なんだもう連れてきているのか」
「わたしを訪ねてきましたものですから…待たせておきました」
 お濃は信長を怒らせてしまってはと思い、言い訳をつくった。
「そち、小心になりおって。よいよいここへ連れてまいれ、会っている間はそちは遠慮せぇ」、
 お濃は光秀を呼びにいった。

 まもなく。
「明智十郎兵衛光秀にございまする」
 落ち着いた声が襖の外から聞こえた。
「入れ」
 頭の禿げあがった四十ばかりの男が平伏していた。
「近くに寄れ」
 光秀は磨り膝で信長の前に。
「わしは、そちのいとこのお濃の夫の信長じゃ」
 信長はこのあと、光秀が朝倉家を追い出されたことや、いとこの道三のことをこと細かく話した。
 光秀は自分の履歴まで、朝倉家を出された理由まで知っている。この大将のことを『恐ろしい男』と思った。

 織田の家臣になったはよかったが、十も離れている御大将に、『おい禿ッこれをしろ』「禿ッこんなものが出来ないのか禿ッ』『おい禿あれはまだか、何をしておった禿っ』
 若い家臣の前や、お濃の前、所はばかることなく言われるのが嫌だった。 
 ― もっと別な呼び方が出来ないものか ― と、反感を持っていた。(後の本能寺の変が起こる元ともなる)

  青い目の宣教師(ルイスフロイス)
 
キリシタン広がる・ポルトガル人のルイス=フロイスは堺から京都にやってきた。信長に面会が許されたからだ。永禄十二年のことだった。
 案内役は近江甲賀の豪族、和田惟政、惟政はキリシタンの教えに理解をしめし、フロイスの清潔な人柄に好意を持っていた。
 フロイスも京都、近畿を征服した織田信長に挨拶しないでは公に布教するわけにはいかなかった。
 日本式に座って頭を畳にすりつけた。
「私はポルトガルの宣教師でルイスフロイスにございます」
 ルイスは日本来てから五年になるので通訳は不要だった。
「わしは信長じゃようこられた」
 信長はルイスの挨拶からの態度に好意をもった。
「日本に来てから何年になる。両親はそなたと会えると思っておるのか。ポルトガルと日本はどれほど遠いのか?」
 信長の質問に青い目は通訳なしで答えていく。
「都に信者が少ないのはどうゆうわけか。そのほうの見解を聞こう」
「都におられる僧侶たちは念から単にキリシタンを好まないのであります」
 フロイスはお世辞ぶったことは言わない思ったことをそのまま話す。
「坊主たちはほかのことでも実にけしからぬ」
 信長はさんざん僧侶のことをこきおろした。
「あの者どもは教えとはあべこべに金銭と快楽よりほかに目指してはおらぬわ」
 ルイスはこのあと、僧侶と宗論を希望した。
 信長はこのルイスの、千里も遠としともしないでやって来た不撓の精神を高く買った。
 何人かの宣教師たちは皆、医学を始め、人文科学、自然科学の知識も豊富だった。“考える信長“にとって限りない魅力であった。
 三日のうちに『居住の朱印状』を与えた。
 ルイスはローマの教会本部に、信長の人となりを詳しく書いた文献を送った。その一部に。

『尾張のこの王は三十七歳にして長身ひげ無し声は大きく非常に武技を好み粗野なり、
正義および慈悲の業を 楽しみ傲慢にして名誉を重んず決断を秘し戦術巧みにして殆ど
規律に服せず、部下の進言に従うこと稀なり、 諸人より異常なる畏敬を受け、酒を飲
まず自ら奉ずること極めて薄く日本の王侯をことごとく軽蔑し、下僚に 対するがごと
く肩の上よりこれに語る。諸人は至上の君に対するがことごとくこれに服従せり、よき
理解力と 明晰判断力とを有し神仏その他の偶像を軽視し、異教いっさいの卜いを信ぜ
ず名義は法華経なれども宇宙の造 主もなく霊魂の不滅なることなく死後何事も存ぜざ
ることを明らかに説けり。その事業の完全にして巧妙を極 め人と語るにあたり、紆余
曲折をにくめり』

 とある。
 布教はこれより少し前、天文十八年に、フランシスコ=ザビエル(東洋の使徒と呼ばれた)のよって数百人の信者がいた。義昭は信長のおかげで十五代将軍になった。ロイス―フロイスは、日本にきたキリスト教の布教者で、信長に信用を得て、面会が許されたのだった。

 
猿、朝倉を討たねばなるまいが、そちの考えを聞こう」
 いつまでたっても“猿”である。
「討たねばなりませぬ」
「ほうときは?」
「急ぐことはありますまいが、暑くなる前…四月の半ばころなら、徳川様もお供くださるでしょうから、そうなると三河からの兵も加わるものと察しますが」
 木下藤吉郎は一つ先ではなく、三つ四つ先を読んでいる怖ろしく気の利く猿だった。
 越前の朝倉は敵というほどではなかった。越前を支配下に置く目的は、越後の上杉謙信に防備しておく考えであった。しかし朝倉群には『朝倉同名衆』があって、これが信長を拒否したのであった。
「生意気なことをしおって」
 不快を感じた信長は、朝倉を討つ肚を決めた。
 かって、浅井、朝倉群は家康、信長の攻めで最後の砦、小谷山城で最期を迎えた。

「のうハゲ」
 光秀にである。屈辱的な言葉をかけられていたが、もう慣れていた。
「くそ僧侶供のいる叡山を焼き払おうと思うのだが、そちはどう思う」
 聖僧といわれた最澄の創建で古くから王城鎮護の守りとされている…僧侶たちを信長は嫌いだということは分かっているが…。
「何と仰せになりましたか、上様」
 光秀は聞き返した。
「分からぬかこのハゲ!」
 信長の感情を壊した。
「はっ分かっておりますが…」
「だったらなぜ聞く」
「…意外なことでございますので」
「ハゲ、何が言いたいのじゃ、はっきり申せ」
「上様、叡山を焼くことだけはお止めになっては…、僧侶どもは捕らえて斬っても…」
 だが、意見を聞く信長ではない。
「山を焼き払わねば効果はないものじゃ」
 光秀を睨み付けた。眼光に信長の、人を人とも思わぬ本来の性向がうかがえた。逆らってはこの場で即斬られることもなくはない。自分の邪魔なものは、ぽいと捨てて省みないのである。
「上様がそれほどに決心なされたことであれば…。その指揮は、このわたしに任せていただきとうございますように、…いらざぬ差し出口、申し訳ございませぬ」
「それでよい。それをそちに確かに任せたぞ」
 信長は気をよくした。
「承知したか、しかしなぁこればかりはわしの手でやる、お前たちは手分けをして山を固めてくれ」
 気変わりも早い。気変わりというより、最初から光秀を確かめたかったことである。
 出任せの言葉を変えた信長に、返答はしなかった。
「はっ、かしこまりました」
「よし下がって別室で酒でも飲んで行け」
 信長がなぜ叡山を焼き払う気になったのか。それは、この前の合戦のとき、浅井朝倉群と、叡山の僧侶たちが、ひそかに結びついていたからだった。元々僧侶たちを嫌いな信長、ただ嫌いだけではない、憎悪していた。僧侶たちも信長に背いた態度を表明していたことであった。

 かって光秀は褒美としての出世頭で叡山の東麓、坂本に
築城を命じられこの城の城主になった。叡山の焼き討ちには心を痛めたが、出世の城主には喜びを感じていた。

 
⑨ 信玄病死
 病に伏していた武田信玄。《風林火山の》の旗のもとに遠江に入った。遠江では徳川家康が信玄の前にふさがった。信玄を通すことは徳川の滅亡だからである。が、武田軍を抑えることができなかった。(三方ガ原の合戦)敗戦し、浜松城に逃げ込んだ。
 この物語のはじめあたりに書いた「人の運命は分からないもの…」信長は天敵としていた信玄が、病死してしまったのである。青くなったのは将軍義昭である。戦わず義昭は引っ込んでしまった。

1574年)元日の岐阜城。
 信長はご機嫌だった。武田信玄、毛利元就がいない今、残っているもので、排除せねばならぬのは、越後の上杉謙信だった。
 久しぶりに酒宴がもようされた。
「皆のもの、この膳の中身を当ててみい、遠慮はいらぬぞ」
 信長の前には白い練絹の布を被った膳が特別にあった。皆は主人がいうのだから、どんな珍しい肴なのか、息を殺すようにして待った。
「覆いをとれ!」
 近臣に云いつけた。前もって言いつけられていた近臣が布をとった。
「あっあっあ~」
 皆は驚きの声を上げてあとに去った。
 金箔をかけた頭蓋骨が三つ、そこにはあった。信長は大声で笑い、
「誰のものだと思う?」
 家臣らは大体の見当は付いていたが、誰も声は出さなかった。
「長政、久政、朝倉の義景よ」
 信長は平然と言った。
「さぁ口では飲んが、目でようく飲め」
 酒宴はあまり盛り上がらなかった。
 もっと名の知れた大将のものだったら…皆はおもったが。信長は妹のお市の夫、長政に好意をもっていたものだが、その長政が背いたことにより、一層恨みが強くなったからであった。
 さて光秀は、信長のところに訪ねてくる家康のための、台所役と接待役を仰せつかっていた。
 このとき家康に出す料理を下調べに信長が入ってきた。
『魚が臭い』と感じとった信長。物の腐りやすい時期でもあったが、台所役の者たちが腐っている、匂いのするものは捨てようと言っていた矢先のことだった。
「なんだお前たちは、腐った料理を三河殿に出すつもりかっ!日向はどこだ、ハゲはどこだっ」
 もう聞く耳を持たない。
 ― 「言い訳をしおって」―、
 と言われるのがおち。
「今出かけております」

 光秀は御大の前へ。
「こりぁ重兵衛ハゲ、まさに饗応役はかなわぬぞ。秀一菅谷に申し付けたわ」
 この上は何を言っても聞き入れる信長ではなかった。格下げである。ショックは大きかった。

 
⑩ 光秀出勤の日
 一万三千の兵は門をでた。もう夕暮れであった。たいまつの用意もしてあった。
 途中休憩をとった。
 光秀は武将や物頭を呼んだ。三日三晩考えた作戦を今皆に聞いてもらいたかった。
「上様の側近、森蘭丸殿より飛脚があった。上様は人馬の様子が見たいとのこと、人馬をまず京都にまわすようにと」
 飛脚などあるはずがなかった。
 光秀は信長攻撃に伏線を引いたのだった。
 腹心の武将を呼んだ。馬周りもみんな遠ざけた。光秀は反逆の肚を告げた。
「いままで誰にも相談しなかったのは、こういう謀反は皆の賛成が得られなくてはできないこと、打明けたらそれが漏れることもあろうと思ってのこと。秘密と言うものは、自分以外は守れないものじゃ。漏れると明智一族はもとより、家中のものは皆殺しが必定。そこはわかってもらいたい」
 皆は蒼白している。突然思いもよらぬことを告げられたからである。
「各々の同心がなければこの大事は成し遂げることはできん、さればわし一人で本能寺に出向いて行って果てるまでよ、わしは終わったも同然」
 皆は言葉がでてこなかった。しかし、どのようなことがあるにしても、主君一人を斬りこませるわけにはいかない。
「おのおの、殿がすでに打ち明けられた以上…たとえ今逡巡しても信長公の耳にはいるのは必定と存ずる。殿にお供しようではないか、行くところまで行こうじゃないか」
 四人は一緒に同意の返事をした。
「すまぬ。行く道は険しく迷惑かけると思うが、行ってくれるか…すまん」
 光秀は涙ぐんだ。
 四人は物頭、足軽級の者を集め、あらましを告げた。
「敵は本能寺じゃ、ぬかるでないぞ!」
 明智光秀は馬上から大声で叱咤した。

 
⑪ 信長の最期
 信長は本能寺で忙中閑の日を過ごしていた。六月一日のこの日も、公家たちが帰った後、長男の信忠と村井貞勝がやってきた。
「父上これだけの人数で危なくはござらぬか」
 冗談まじりに言った。
「もう、京にも安土にも敵はおらんわ」
 名器の茶碗の茶を啜った。
 信忠、貞勝は帰っていった。

 深夜十二時ころ、側室と共に寝室に入った。
 眠って間もなく、鉄砲の音がして目が覚めた。
「なんじゃのう、うるさい雑人どもの喧嘩か」
 そういって再び寝ようとしたとき、さらに大きな鉄砲の音がした。ただ事ではないことを感じた。
「森蘭丸を呼んで来い」
 側室が乱れを直している間に、襖の外で、
「お目覚めでございましょうか」
 森蘭丸の声がした。
「謀反物は誰じゃ」
「さればでございます。夜目ではございますが、旗はまさしく桔梗の紋…」
「なんだと
「明智光秀よりご在ません」
 しまった~。信長は心で叫んだ。
 思えばいくつかの謀反の理由が湧いて出てくる。
「殿!こちらの方から一か所を切り開いて…」
「だめじゃ明智なら手を打っている…」
 そうしているうちに、鉄砲隊と槍隊が「ドドッ」と入ってきた。火が上がった。信長はやり組の小傷を食らった。
「明智らしいのう」
 森蘭丸は、初めて”明智”と言った信長の言葉をきいた。

 信長は死を覚悟していた。火のまわりは早かった。信長は奥の敵が最も時間のかかるところまで行き、瞑目した。
「熱いのは嫌じゃがのう」
 四十九年の生涯を
終えた。 

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                              アントニオ省三   
     
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織田信長 豊臣秀吉