漢方 江陽堂八綱薬局 (こうようどうはっこう) 八戸市江陽五丁目9-28 TEL.0178-44-6240
代表者紹介
■名前:蕨 浩親
■出身:八戸市
■経歴:1985年 日本大学理工学部薬学科卒業
1985年 御茶ノ水にある眼科病院入社
1991年 横浜市の漢方調剤薬局(現在消滅)入社
1992年 北京中医薬大学日本分校入学
1992年 横浜市の相談薬局に入社
1995年 北京中医薬大学日本分校卒業
1995年 八戸市の調剤薬局入社
2001年 とやべ町薬局開局
2002年 国際中医A級取得
2007年 国際中医主治取得
2018年 漢方八綱堂薬局開局
2019年 江陽堂八綱薬局と改
■所属研究会:日本中医薬研究会
■薬学科在学中に卒業後は漢方の仕事をやっていこうと決めていました。
そして、いつかは漢方の大家になってやろうと思っていました。
30年以上前の話です。
それで、現在まだ漢方の大家にはなっていません。(まぁ、この業界では自分は大家になったと思ったときに、その人は終了するのかもしれませんが・・・。)
大学のカリキュラムには4年間(当時、薬科は4年制でした)のうち漢方の授業は1コマあるだけで、しかも半年でした。要は卒業後、自分で学ぶしかなかったのですね。
大学生当時、漢方の仕事をやっていこうと思っていたわけですが、その頃はホントに漢方というものが分かっていなくて、ただ漠然と漢方をやっていこうと・・・。
後に漢方に色々な流派があることを知りました。それで、色々な流派があることを知って分かったのですが、当時、大学で半年間だけ習ったのが中医理論でした。
大学卒業後、漢方の仕事をやっていこうと思いながらナゼか眼科病院に就職しまして(とりあえず稼がなきゃという気持ちがあったんですね)職場の好意で1ヶ月に1日、カネボウ薬品(今のクラシエ薬品です)の勉強会に参加させていただいていました。
とはいえ、実務で漢方を使うでもなく、なおかつ月1回の勉強会ですので次の月までには忘れてしまう。
何とかしなければと思い、漢方も販売している小売店に移り、次に、当時、横浜にあった漢方を主に使用する診療所の処方箋を受ける薬局に勤めました。
それと同時に大学のときに漢方の講義をしていた教授が主催する、平塚での勉強会に参加するようになりました。
さて、その薬局で応需する漢方薬中心の処方箋なんですが、何といいますか、今まで自分が学んできたものと何か違うんですね。
まぁ、変な漢方薬の組み合わせだったりとか、色々と。
自分の勉強不足なのかと思いましたが、後に、病名漢方という新しい流派だと知りました(笑)
自分の中ではそれが、何と言うか受け入れられなくて・・・。
そして、色々と調べ、考えて、結論に至ったのは(当時の)日本には本物の漢方を集中的に学べる場所は無い、ということでした。
では、どこにあるのか?
あぁ、中国か・・・。
そのときは途方にくれましたね。これから、どうしようと。
そんな時、薬局に送られて来る業界紙に「北京中医薬学院(現在は北京中医薬大学)日本分校」の開校の記事が載っていまして、その時はもう、コレだ!、と思いましたね。
やっと行く道が決まった、というか。
その時は、1期生の募集には間に合わなくて、私は2期生に応募して中医学を学ぶことになりました。
職場も相談中心の薬局に移って、三年間、中医学を学びながら漢方相談をしていました。
北京中医薬学院日本分校を卒業後、八戸に帰ってきて、開業資金を貯めるために調剤薬局で働きました。(賃貸暮らしと授業料で貯蓄はほとんど無かったですね)
平成13年11月に鳥屋部町で漢方相談と保険調剤の「とやべ町薬局」を開業しました。
ただですね、まぁ以前から分かっていたのですが、漢方相談と保険調剤というのは色々な面で相容れない部分がありまして、何とか両方やっていけるかなと思っていましたが、やはり無理がありました。
そこで、平成30年7月に「とやべ町薬局」を閉めて、平成30年11月に漢方相談専門の「漢方八綱堂薬局」を開局しました。
平成30年11月に開局以来、地道に漢方相談の日々を送っていましたが、令和元年10月に(私は全く存在を知らなかったのですが)他県にある漢字は異なるものの同じ読み方をする薬局から電話があり、同じ名称を使わないで欲しいと言われ、色々と案を考えた末「江陽堂八綱薬局」としました。