歴史は嘘っぽいよ〜ほんとに

源 義経

平家物語

 歴史のさまざまな場面の検証は不可能である。有名な人物の残したものとされている名せりふなどは殆んどは作り物である。 
 歴史は江戸時代の後期からは大日本史として残されてはいるが、それでも確かなものではない。
 当時の作家や歴史家さんたちが装飾したものを、後のそういう方たちも更に面白く装飾し出版する、だから面白くて読むものです。これが繰り返されているのです。 
 NHKの番組で歴史について。ある歴史家、歴史家にしては若い方が、
「この人物は実はこういうことを…、まさかほかの人が考えていなかったことをやったんですよ。当時では良かったかも知れませんが、今では許されないことですよね」
 って、その人の兄弟か親戚で如何にも自分がその場で見ていたように話していました。ちょっと行き過ぎでしたね。

 ドラマでも脚本家によって、どうにでも曲げることができるんです。枝葉をうまく付け、見る人、読む人に面白く恰好よく表現しているのです。
 また、それでよいのです、ロマンがあってもいいのです、そうでなければ誰も読まないものです。
 義経の話をしている友達に
「読者は、作家さんたちが面白く書いていて、殆んどは嘘や装飾で出来ているんだよ、そうゆうものを読んでいるんだよ。」
 と、言ったら。
「いやそんなことない、義経は北海道から中国大陸に渡ってシンギスハーンになったのは本当だよ。」 
 少しムキになったりして。

 
ロマンとは、作家の作ったものにノメッテ、浸って、嵌(はま)ってしまって、あぁこれが本当なんだ〜 って思うことを言うらしい。つまり、人物像が恰好よくて内容を面白く書ければ売れるのです。

 先日ある元小学校の校長先生、私の先輩にあたるが。
「ほれ、これがあの弁慶の足形だよ、新聞に載っていただろう、今日撮ってきたよ」
 って私の前に写真を置いた。弁慶は、石に足形が付くくらい力持ちだったと、先日の新聞に載っていた。
その石が八戸市に在る、ある神社に保存してあるという。また同じ日の同じ欄に、左甚五郎が捨てた木屑が水に流れているうちに、河童に変わった。その河童が、八戸のある神社に祀ってあって崇められているという。
 それを先生は写真にしてどうするのだろうか。
 先生に聞いてみた。
「先生はその足形は本当に弁慶のものだと思っておりますか?」
 先生はすぐには返事はしなかったが…、そして、
「……いやまぁね……本当だとは思っていないよ勿論、ハッハッハッハ〜」
 私の怪訝そうな顔をみて先生。
「それはロマンだよロマン、ハッハッハ〜、、アントニオ君、ロマンがないな〜ロマンが〜」
 って脇腹を小突かれたりして。無理に納得されられました。

 先日TV朝日系で『教科書の新常識&秘密全部教えます』の番組で、聖徳太子の肖像画は本物ではない。西郷隆盛像は合成したもの。松尾芭蕉は旅先では句を書いていない、清少納言の枕草子なんかのことも言っていた。
「えっ松尾芭蕉は旅先では詩は書いてな〜い?」 
 青森県の五戸町新郷ってところに、キリストの墓がある、ということになっていて、土を盛って卒塔婆みたいなのがたっている
…。
 地元の人は、「本当ではないようだが…ん…観光地にしなくては…」と言って、ムリクリ本物だと言い、キリストの日なんかはお祭りの踊りに参加している。
 高校の頃、宮本武蔵は架空の人物、と人名事典で読んだことがある。武蔵は飛んでいる蠅を箸で摘んだ…。木の櫓で木刀を作って佐々木小次郎と戦った、あの長身の小次郎の頭上を飛び越えて…と。
 昭和の後期に『邪馬台国はどこにある』について、松本氏と高木氏がやりあったこともあった。自分で好きなように書けばいいんじゃないの。他人の書いたものを批判しちゃいけません。松本氏とは、言うまでもなく。松本清張氏、高木氏は、高木彬光氏である。彼らもいわば推理作家で推理を書いているのだから…。
嘘でもいいじゃないですか〜うまく作った歴史の本を楽しく読ませていただきましよう。
    
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