笑ってください
新郷のキリストの墓

歴史は嘘っぽい

 日本人は、神社、お寺、教会、他に多数の神々と、また神を信じていない人たちもたくさんいます。
 外国人からは考えられないほど宗教信仰自由国。人は何を信じようが信じまいが自由でいいのです。バカげた宗教戦争などで殺し合いをするものではありません。  
 
 キリストの墓はどこにある?  イエスキリストのお骨はエルサレムにあるのです、日本にはありません。聖墳墓はイエスが処刑された場所でお墓の所在はわからない、と誰かが言ったものですから、青森県の新郷村が挟まったんですね。
 今から2,000年以上前に、日本の国さえ知られていなかったでしょうし、地図なんかなかったと思います。

 聖書には、キリストの墓の場所はエレサレムの「聖墳墓協会」あるいは「園の墓」である。しかし、異説も存在する、と言われておりますから五戸町が名乗りを上げたんです。もし、新郷の観光課の方がエレサレムに行って。
「ここにあるのはイエス様のお墓ではありませんよ、日本のわたしの村にあるのが本当の墓です、一度来てみなせぇ」
 と、やったらどうなるでしょうか。そんなことを言ったものなら、
「アナタ ナニイッテンノ バカジャナイノ?」
 って言われて捕まり、十字架に張りつけられますよ。
 結論を先にいうと、新郷の『キリストの墓』は、村起こしのためのお話でしょうね。

 新郷キリストの墓には次のような説明文がありました。
 ― 省略 ―
 話は、ゴルゴダの丘ではりつけで死んだと考えられていたイエス=キリストだが、実は処刑されたのは弟のイスキリで、キリストは密かに逃げ延び、今の青森県八戸港から上陸していた。名前を「十来太郎大天空(トライタロウダイテンクウ)」と改名し、日本人の妻をもらい、そのあいだに3人の子供をもうけ、キリスト自身もかなり長生きしたらしい。キリストの風貌は、ハゲで鼻が高く、目が大きく、赤ら顔だった事から、天狗のようだったと言われます。
 村の旧名を「戸来(ヘライ)村」と言い、「ヘブライ」が訛ってできた言葉ではないか。この村の方言で、大人の男を「アヤ」「ダダ」、大人の女を「アパ」「アバ」と言い、それは聖書に出てくる「アダム」「イブ」が訛ってできた言葉ではないか、とかなり苦しい説明をしています。
 生まれて間もない子供の額に十字を書いていたことや、足がしびれた時は指につばをつけて額に十字を3回書くとしびれが治るという村の言い伝えがあり、(実際には全く効きません)キリスト教信者が十字をきるのと類似している。
 この村に伝わる「ナニャドヤラー ナニャドナサレノ ナニャドヤラー」という音頭が、ヘブライ語で神をたたえる意味になる、またその旋律もユダヤで古来から歌われていたモノに似ている、とかの新説は、国内・国外問わず正式には認められていないのです。
 このナニャドヤラはいろいろな意味にとれるんです。一説では、『ナニカ、アンタモ、アソンデバカリイナイデ、ナニカシナサレ、シナサイ、ドヤサレナイウチニ』とアントニオは解釈していますが…。
 それに、キリストの子孫の事は資料は何も残っていないんです。何処かにあるとすれば、無理に作り上げたものでしょうね。

 キリストは日本へ逃れてきて、エルサレムのゴルゴダの丘で処刑されたのは身代わりとなった、弟だとか、弟子だったとか言っていますが、もし、弟のイスキリだったらどうだったでしょうか、イスキリは神の子ではありません、十字架刑のとき。
「おれじゃねぇよ兄貴だよ、よ〜く調べてくれ昨夜すり変えられたんだよおれは、声だって違うだろう?おい何やってんだよう〜早くここから降ろせよ、ばか〜っ」
 すりかえられたときから声も掠れるくらい叫んでいたと思います。また、神の子のキリストは。
「わたしは処刑されるわけにはいかないから、あんたならそう価値のない人間だから、あんたが身代わりになってくれ、わたしは逃げるからな後を頼む」
 と言って代わりの者が処刑されるのを見過ごせるでしょうか。だとすれば、神にも劣る、いや人間にも劣ると言われ、世界一の卑怯者とされ、誰も信じなくなるはずです。『信じるものは救われない』ことになります。
 死刑が決定した場合、そのときは捕まっていたわけですから、逃れられないと思うし、処刑する人間を間違えたとは到底考えられないことです。

 このキリストの話は、昭和九年ころ青森県戸来村(現・新郷村)の村長さんが村おこしの為に作ったものだと言われております。その村長さんと関係の有る、或るお方が。
「日本にはピラミッドがどこかにあるのだ、探してみろ」とか、「お釈迦様も日本にちた(来た)んだ」
 さらに、
「チリストは日本にちた〈来た)んだよ、しかもこの新郷になっ」
 などと言ったそうです。キリスト神話を持ち出すなら、お釈迦様とピラミッドの話はしないほうが良かったようですね。まぁピラミッドの形をした山は至るところにあります。そのお方は余計なことを言ったような気もします。村人はおとなしく聞くし、自分より偉い人のことは何でも聞いて信じるものですから、そのお方は調子に乗って蛇足してしまったんですね。

 キリストは、ユダヤ人として生まれ、ユダヤ教の指導者である「ラビ」という地位にあった人です。そして当時ヨハネが始めていたユダヤ教の改革運動に参加して各地を伝導しているうちに、同じユダヤ教の長老派の人々から異端であるとして、ローマ人の行う法廷に罪人として差し出されます。ローマ人はその裁判をユダヤ人に一任し、裁判で有罪となり、死刑判決を受けたのです。死刑執行はローマ人が行ない、ローマの死刑執行方法『十字架刑』に処せられました

 もし青森の新郷の墓が本当のキリストの墓だ、と言うことに自信があるのなら世界にもっと広め、もっと立派なお墓を建てなければ成りません。こそこそやっていたんでは、外国人から、 
「モシカシタラ、モモタロウモ、ウラシマサンモ、ココカラウマレタンデワナイノ〜?」
って言われるかも知れません。
 
本当のキリストの墓であれば、世界中の信者が毎日毎日止切れることなく新郷を訪れるでしょう。八戸港は観光の港となり、住民はお土産用の十字架の製作に追われます。「キリスト煎餅」「十字架クッキー」「十字架のストラップ」や「十字架のキーホルダー」「キリストハンカチ」「十字架付き蠅捕り」なんかも用意しなくてはなりません。道路の整備、新郷まで片側二車線にして、※有料にするか無料にするかで村議会で揉めたりする。ある村会議員は。
「わだすの考えでは、無料にすて、ずうみんにも利用すてもらえればええと思います。有料にすてすまえば、「あのチリストのはが(墓)は嘘でねぇべが、」とゆうしと(人)が出てこねぁども考えられなぐもねぇ、んだすけぁ無料化でどうであんすべ」
 そういうお方は次期当選間違えないのです。
 村民はとにかく無料になればいい、あと後道路の修理にお金がかかることまでは考えないですからね。

 参考―― 田中角栄首相の日本列島改造論の前、「有料道路は、有料道路にかかった費用が回収できれば、その        高速道路は無料にします」が当時の国の方針だったのですよ――。

 アントニオ省三の結論は、あの墓は、キリストの信者の一人と説きました。よく村にはいます、ろくに仕事もしないで、学者ぶって本ばかり読んでいて、農家の仕事を手伝わない。そのお方も毎日聖書を読んでいた、周りの人たちからは、
「このくそ忙しいのに何だあれぁ」
 と言われて少し変わり者に見えた。そのお方が亡くなったとき、住民は簡単な卒塔婆を作ってあげて、土を盛って拝んでやった。
 もう一説は。(きり)に似た苗字とか名前から来たのではないか。人、をストとも発音しますからね、そして、どうしようもない人のことを。ちりねぇすと(切がない人)と言います。その方を呼ぶにはキリねぇスト、つまり、キリストと呼んでいたとか。また古くは屋号で呼ぶ習慣がありました。アントニオ省三の家も、村の人たちから、コスロ、と呼ばれておりました。こどもの頃は、コスロ、は、どんな意味で漢字はどう書くか分かりませんでした。大人になってから分かったことですが、小さなお城(小城)の意。これをずぅずぅ弁で、コスロと言っていたのです、ですからアントニオ省三は、お城の王子様だったらしいです。今ではもう誰も相手にしてはくれないただのオヤジですが…。

 あの新郷のキリストのお墓ですが。わたしが八戸に住むようになって初めて見た昭和50年頃には、粗末な杭のような卒塔婆があっただけでした。その後、新聞TVで、ナニャドヤラはヘブライ語…じゃあの墓はと言うことになり、その後、大きなお墓にして資料館も新しく創っています。新郷村には予算にも余裕があったわけです。
 本当のキリストの墓というのであれば、以前の粗末な卒塔婆では新郷の方たちにバチがあたりますよ。
 今から2,000年も前に、キリストが日本に来ていれば…?いや本当に来れたのでしょうか…。キリストさんは、新郷まで行くものでしょうか、二度もですよ。それだけ天文学が発達していて確かな地図があったでしょうか。今から200年まえ伊能忠敬が苦労して作り上げた地図より優れたものがあったでしょうか。仮にキリストさんが迷って新郷村に入っちゃったのであれば、一時帰国はできなかったと思います。
 また、食料のことを考えたりすれば、海からそう遠くないところに居を構えるのが常識、キリスト教を広めるなら京に上るとか。とにかく新郷の山奥で生涯を終えた、は無いと思っていいでしょう。
 どこにでもお墓は造れるはずです。たとえば海からそれほど遠くない八戸の長者山あたりに住まいを構えて、そして、「キリストのお墓をお守りください」 と、新羅神社様にお願いしておけば良かったと思います。長者山の宮司さんも先祖代々優しいお方達ですから。
「あんだほぁチリストだべ?わぁほぉあ神様だすけぁ、そごんどごろはわがってるべぁな、わ(私)は、かまわねぇすけぁいいべども」
 キリストさんに南部弁を教えてまで?酷なことです。
 そのあと、出雲の神様を呼んで頼んでくれたと思います。
 まぁこれからも新郷村の観光課の方たち、村おこしの為にもがんばってください。
          
                                                                                        平成15年作



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