なぜ「シルクロードウオーク」だったのか? その原点はこんなことから始まった あれは1980年10月7日 岩木山〜八戸間150`チャレンジウオークの 完歩パーティー(飲み会)での出来事だった。 とんでもない事を言い出したのは酒の勢いでの ある人物からの一言から始まった。 その人物とは元顧問である「故 山根勢五」だった。 「どうだろう近い将来シルクロードを歩いてみないか」だった。 ほとんど寝ないで歩いて来たメンバーは この人は歩き疲れて頭がおかしくなったと その場にいたメンバーはほとんどが思ったという。 しかし酒の勢いもあり全員が「ウオー」と声があがった。 これが私たちのシルクロードウオークの始まりだった。 |
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私たちは第1次から第8次まで実施し 毎回「本」を自主制作し、会員へ配布しました。 上記の画像はその時に制作した本の表紙です。 ※一般の方への本の販売は致しておりません。 ![]() |
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![]() 2015年10月26日〜11月12日 《 ギリシャ 》145` パトラス⇒アテネ 第1次から脈々と受け継がれて来た第8次を終え 東西交流の要とも言えるギリシャでのウオークを 敢行できた事はとても意義のある事だと思っている。 今回の最大の功労者はガイドの ママ景子カテリーナさんだろう。 旅の途中の様々なトラブルの時でも団員全員顔面蒼白の中 泰然自若とした様子にとても安心感を覚えた。 こんな素晴らしいガイドさんに巡り合えたことに、 心から感謝したい。 |
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![]() 2013年10月21日〜11月3日 《 イタリア 》161` マテーラ⇒ブリンディシ セカンドステージ最初のウオークが始まった。 第1ステージでゴールする際にコースとして 選んだのが海のシルクロードの延長である アッピア街道だった。 第2ステージを始めるにあたり、西安を目指す 為にはどうしてもアッピア街道の東の起点である ブリンディジまで辿り着く必要があった。 そこからギリシャを経由してトルコに入れば 第ステージで歩いて来た道と隣がる。 そしてその先には、遥か西安の都が待っている。 そして第2ステージの大プロジェクトが始動した。 |
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![]() 2007年10月17日〜10月30日 《 イタリア 》202` ナポリ⇒ローマ ファーストステージ最後のウオークとなった。 2000年の歴史が刻まれた古代アッピア街道を歩き ついにゴールのコロッセオに辿り着いた 足掛け25年の年月をかけた一大プロジェクトだった。 |
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![]() 2002年8月18日〜9月2日 《 トルコ 》202` カイセリ⇒スルタンハン アジア大陸からヨーロッパ大陸へと 続くウオーク最大の目的を果した 歴史的なウオークとなった。 しかし世界三大料理と聞いて 安心して臨んだがやはり合わない人がいた しかしいつものアルコールパワーで 乗り切り目的を達成した。 |
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![]() 1997年7月27日〜8月20日 《 中国・パキスタン 》366` カシュガル⇒タシュクルガン ⇒フンジュラブ峠⇒フンザ このコースは景色も天候も変化に富んですばらしかった。 暑い日も、雪の降る日も高山病に苦しむ日も・・・ 国境越えウォークは初めて文化・民族の多様さに感激 それにしても昔の人はよくこんな道を旅したものだ。 |
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![]() 1991年7月23日〜8月16日 《 中国 》603` 哈密⇒吐魯番⇒鳥魯木斉 西遊記で有名な火焔山付近の40℃を越える暑さと砂嵐は 筆舌尽くしがたしその前後は突然の雨、強風、寒さ 天候の急変に苦労したウォーク ウルムチのゴールではみんな号泣だった。 |
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![]() 1985年7月24日〜8月17日 《 中国 》415` 酒泉⇒嘉峪関⇒敦煌(莫高窟) 毎日毎日とにかく暑い、陽射が強い 行けども行けどもゴビ砂漠の地平線 飲み水不足の不安に悩まされながらも たどり着いた莫高窟感激のゴールをした莫高窟内で 野宿できた我々は本当に幸せだった。 |
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![]() 1982年8月11日〜9月3日 《 中国 》430` 莱西⇒済南 本当は西安から歩きたかったが、 この時代のシルクロードはまだ外国人に未解放地域だった 中国政府からやっと許可をもらったのがこのコース 毎日が蒸し暑い湿気のためマメはできやすい 食事は合わない今思えばよくやったと思う。 |
シルクロードウオークで唯一 7回すべて参加し完歩した男 シルクロード酔いどれ旅人 「城前 隆」の巻 (ローマ浪漫旅より抜粋) |
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シルクロード・万華鏡の世界 宇宙より見たる地上の天の川 たおやかに果てなく続く砂漠の1本道、シルクロード 昭和57年8月、中国山東省430`ウオークが始まった まさか、この時はローマまで続くとは夢にも思わなかった 決意を込めて長男を「北斗」二男は「大地」と名付けた それまでも、青森県庁〜八戸支庁100`ウオーク 岩木山神社〜長者山神社150`、旧八戸藩一周180`ウオークと完歩 歩きには、かなりの自信とそれなりの実績を持っての大陸に乗り込んだ つもりだったが、もろくも挫折を味わうとは・・・・・・・ 北京空港に降り立った瞬間、コーリャンのにおいと 口に合わない香辛料には参った それからというもの食に対する弱さに只々唖然とするばかり、茫然自失 ほとんど食えずに毎日ふらめいて歩いた、つらかった、帰りたかった 「大陸の風となって歩いてきます」と行動班長として宣誓したばかりに それでもどうにか、5人の完歩者の中にいた 帰国してから、栄養失調によるA型肝炎で三ヵ月入院した 一時は黄疸がひどく、一週間の記憶がなく 後で妻から命も危なかったと聞かされた 退院の日、もう二度と行くまい、「さらばMTC21」と誓った そして3年後、なぜか再び酒泉のスタート地点に私は立っていた またしても、つらく苦しい食との戦いの始まりである 性懲りもなくビールだけが頼りであった 砂漠、熱風、股ずれ、下痢 目はかすみ、泥水をすすり、会話もなくカーブもない シューズがのめり込むアスファルトの道 敦煌ゴール415` もう砂漠はこりごりだーと頭からビールを浴びていた 3回目 ハミからウルムチまで最長603` このころから日本食持参の せいもあって、以外にも快適な砂漠生活、トイレ空間、あったかいビール 何が入っているか分らない料理の数々 中国スタッフとの会話にならない会話・・・・・ そしていよいよ4回目はパキスタン国境越え360` イスラム文化にどっぷりつかり、酒なしのウオークの何とつらいこと 女性の顔を見るな、触るな、話しかけるなー、 きつい国だった360` 5回目、トルコはまさしく観光ウオーク、カッパドキアの洞窟ホテル 朝からビール・ワインがぶ飲み、ガラタ橋のベリーダンス バザールの買い物ツアー 極めつけは最後の晩餐「さばサンド」新聞紙に包まれた不思議な味 食えない・・・・・・ 6回目、いよいよイタリア、足掛け25年かけたシルクロード最終章 ナポリの甘い風に送られて、いざ目指すはローマ 歩くのがゆっくり過ぎて口にマメができた、と アル中の誰かがつぶやいていたアッピア街道 リッチで、おしゃれな旅であった かくして、ローマ「コロッセオ」にゴール、2,218`完全完歩 人に隠れて流した一粒の涙が、石畳の上にふわりと落ちた 仲間から送られた千羽鶴に「ありがとう」と伝えて 私のシルクロードウオークは終わった シルクロード 美しかった つらかった 楽しかった めくるめく万華鏡の世界 シルクロード 我が人生、半世紀をかけた歩み 今ここにそっと セピア色の口づけを捧げよう 大陸の風に 【7回目での成長日記】 前回までは現地の食事が口に合わずビールを流し込んでシルクロードウオーク全てを完歩した。 なんと! 7回目にしてほとんど出された食事は全て平らげたという 目覚しい成長を見せた。 今まで何だったのか?… 成長と言っていいのか、敗北と言っていいのか?… 年齢的には「進化」と思われるが、ここは取りあえず「成長」と言えるのでは???? |