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「 三陸海岸では海辺で作られる漁師料理が有り、その潮汁の一つが
洗練されて碗に盛られ、その風情が薄く霞んだような汁とウニの身が
" 朝もやに霞む「野いちご」に似ている "
と八戸の粋人が称したことから「いちご煮」と呼び習わされた。 」
これが現在の通説となり、市の刊行物や各種 ガイドブックに「いちご煮のいわれ」として紹介されておりま す。また各電波媒体でもよく耳にしますのでほとんどの方が そうだとお思いでしょう。 昭和60年頃にに八戸グランドホテル初代社長「高橋 甫」 氏から「いちご煮は中石が作ったもので名前も付けた。 それを自分の所だけさ留めねんで広く世に出した」と言う話を お聞きしておりました。 そのため前述の説だけが流布されるのには釈然としないものを感じて おりました。 高橋社長からお聞きした内容を。こんな素晴らしい料理を創作し、
独占もせず世に広めた先輩の事実を。もっと皆が知って良いので
は無いかと思っておりましたが、高橋社長が故人となられ、お
話しの確認をできずにおりました。
この記述からすれば「いちご煮は創作郷土料理で、元祖は 中島石蔵氏」となりそうですがいかがでしょう。 前述の様に竹内氏の経歴と記載内容からすれば信頼に足るものと思います。 中島石蔵氏につきましては八戸市の郷土史家「江刺家」 氏がデーリー東北新聞社に連載された記事があります。 それによりますと「今は無くなったけど」と竹内俊吉氏 は述べられております「中島石蔵という魚屋」の中島石蔵氏はその後、魚屋を 中島石蔵商店という海産物問屋に拡大、創業されると共に漁業にも進出され、 一時は北転船を含めて十余艘を有し、八戸漁業会の中興に尽くされた方だそうです。 さらに政界にも出られ、八戸市議会議長もなされた方との事でした。 その会社は食品会社として現在も立派に営業され、現在はご長女の代に なり、業務用食品卸し会社として発展されています。 |
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