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源義経さんてどんな人ですか

こんなイケメンではなかったらしい。身長1,6mあるかないかで、でも当時では大きいほうだったらしい。アントニオ省三をイメージすればいいと思います。

 源 義経はどんな人?
 源義経(1159〜1189)
 平治の乱(平家と源氏の戦い)で源義朝が平清盛に敗れる。この時牛若(後の義経)は1才。兄弟には今若、乙若がいた。母は九条院の雑仕常盤御前。
 清盛は平治の乱の後すぐに、源氏狩りをした。常盤は逃げ切れず、六波羅の清盛のところに自首する。
 常盤は日本には稀に見る美人だったことから清盛の愛を受けることになる。引き換えに牛若たちは命を落とさずに済んだ。これが後に平家が滅びる元になる。女には気をつけよう。
 牛若は鞍馬山に預けられ、遮那王と名乗っていた。行商人の金売り吉次と出会う。吉次の勧めで奥州(岩手県平泉)入りをし、叔父の藤原秀衡と対面する。
 再び上京し、兄の頼朝と対面し、兵を集め平家追討する。鵯峠、屋島、壇ノ浦の戦いで平家を滅亡させるのだが、部下の景時の讒言によって、頼朝の追手が始まる。兄とは戦いはしたくないところもあり、ところどころの関所を破って追っ手から逃れ逃れて奥州平泉までたどり着く。途中愛する静御前との別れ愛妾との別れがある。
 平泉に着き衣川の館を与えられ落ち着いた暮らしが出来るかと思ったが、頼朝の条件(常陸国を与えるから義経を殺せ)をのんだ秀衡の息子、泰衡に裏切られ、衣川の館で最期。奥方、子供を殺し自害する。
 悲運の侍、義経。ここから出来た四字熟語「判官贔屓」。ホウガンビイキ、と読みます。
 例えば大男と小男と相撲をとっていると、自分には関係ない人でも、小男に勝ってほしい気持ちが出ます、これが判官贔屓です。弱い立場の人に「贔屓」します。日本人は本来皆このようなやさしい心を持っています。
 義経は強い父を知りません、母の暖かい懐も分からないまま、乱世に入っていくのです。そして兄の頼朝に疑いをかけられ追われ、ついには自害するのです。
 国民は義経をあまりにも可哀そうに思い、架空の伝説を作りました。「ジンギスカン」は義経だとか、青森にいた。北海道で暮らしてた。中国大陸に渡って、シンギスハーン(成吉思汗)になったということまで。
 八戸にもそれらしい話はたくさんあります。義経には「杉目小太郎行信」という影武者がいて、平泉で義経は自害もしていない、とか死んだのは、身代わりで、杉目小太郎行信だった、とか言っている作家もいます。何代か続く伝説の中で作家たちが勝手に作りあげたんではないかと思います。
 
 アントニオ省三は、北海道に渡って義経を騙っていたのは、津軽のお金持ちの、あの羽柴秀吉さんの祖先だったのではないかと思います。
 お金が余っていて
困っていたところに、衣川の義経さんの事件を聞き、「よし、わぁが義経になって北海道に行くじゃ」と言って仲間を連れて旅だった。

 歴史の面白いところは、後に装飾し、更に装飾したものを読んでいるから面白いのです。 

                                 平成15年7月 作  

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