第一部 
二百万円を二億円と,桁を間違えて振りだしてしまった小切手。しかし事は表には出せない…。
第二部 
夢子は絶対幸せにしてやる…悪党には消えてもらう

  津軽のシンガーソングライター物語 第一部

1  津軽の男  
 川崎信用金庫本店。私は当座預金の係りになって三年になる。総勘定を締めるにはいつも最後になる。他の係りは早めに締めて、定時間までお茶を飲みに店を出る。当座係りは入金待ちが毎日のようにあって、誰もやりたがらない係りだった。
 今日は給料と一緒に賞与も入った。封筒の厚みで中身を確かめ内ポケットに仕舞った。 
 冷房の効いた店からでると、外はかなり蒸している。今夜も寝苦しい夜になりそうだ。アパートにこのまま帰っても、待っている者はいない。岩手のお袋からは、「早く所帯を持って落着け」とか、「あそこの娘がどこそこに行っているから会ってみろ」、「あそこの娘は器量もいい一度帰ってきて会ってみろ」 こんな手紙は何度もあった。自分はまだ所帯を持つことなんか考えてもいなかった。
「一杯ひっかけて行くか~」
 いつもの店はここから五分ほどのところにあり、お店から川崎駅まではやはり五分くらい、かなり酔っぱらっても電車には何とか乗れる。
 どこからか、ワシントン広場の夜は更けて、が聞こえてくる。かなり流行っている曲だ、バンジョーの軽快なリズムで気分がよくなる。
 五十席ほどあるこのお店は今日はほぼ満席だった。それでも何とかカウンターに空席を見つけて腰を下ろした。
 左隣にいる男。だいぶ前から飲んでいたようで、かなり赤い顔をしている。
 男は誰も聞いていないのに大きな声で。
「おれさ~ちょねん津軽がら歌手のべんちょうで出てちたんだけんども、いずねんも経ったら津軽弁をすっかり忘れですまって、まいねぇはんでよ」
 何語?私も岩手県人だが、こんな言葉は生まれて初めて聞く。こんな男に話掛けられても迷惑だな~と思っていたら心配が的中。
 男は私の方を向き、
「おっあんだ、いいおどごだなぁ、んまれどごよっ?」
 東北人は人なつっこいと言うが、私もこれほどではない。
「あぁ岩手ですけど」
 男はすっかり私のほうに向きをかえて、
「ほうが、いわでが~、俺はアオモリ、なぁ他人て感ずすねぇな~、おい乾杯だ」
 おいおい、よしてくれょ。つい乗ってしまってジョッキをあてた。
 それにしてもよく食べたものだ。刺身の大盛皿小皿が二十枚ほど重なっていて、ジョッキの空が十個ほど並んでいる、まるで関取みたいな奴だ。
 男は。
「俺はさ~、スンガソングライダをやってんだけっどもよっ、おれの夢はよっ、ちいで〈聞いて)くれる?」
 シンガーミシンのセールスの何の夢か知らないが、そんなことは私には関係ない、ゆっくり飲ませてほしいよ。
「俺のいながには今カラーテレビが入るそうだ、あんだぁどがぁあるがぁ?」 
 とか、何か言っているが、今どきの話ではないようなこと。
 返事はどうでもよい、無視しているが。それでも男は私を相手にしているつもりだろう、聞いてもいないことをかなり喋っていた。そのうち男は。
「ちょっとすつれいね」
 と言って立ち上がり、ふらつきながら歩いて行く。たぶんトイレだろうが、もう帰ってくるなよ、私が飲んでいる間ずっとトイレにいてくれ、そう願いながら飲んでいた。
 が、いつまで経っても帰ってこない。帰ったな、よかったよ、あんなやつの相手をしていたんではかなわないよ。
 しばらく経っても男のいたカウンターを片付けにこない。店員から聞いてみた。
「ここのお客さんは?」
「あぁ、お友達の方はお帰りになりましたよ、すみません今そこを片付けますからちょっと待ってください」
 今日は混んでいて忙しそうだった。そうか今日はほとんどの会社は給料日なので忙しいわけだ。男は帰ったか、そうか落ち着いて飲めるな。ジョッキをもう一杯たのんだ。
 私もそろそろ出ようかと、お勘定をお願いした。ここの店は明細書と領収書を出す明朗会計な店だ。
 店員はそれを持ってきて。
「まいどあり~」
 だが、金額を見てびっくり。
「おい、これはどうゆうことなんだよ、桁違いじゃないのか?」
 - 常連にふっかけるとは - と言いたかったが、店長が出てきた。
「すみません、お友達の方がこれだけ飲食されましたんですがこっちはお土産代で」と、二枚の明細書を説明する。
「えっ、お土産?あれは友達なんかじゃないよ関係ないよ、冗談じゃない」
 お土産は、ウナ重の特上五個と。呆れた野郎だなぁ。まぁ何を言っても始まらないし仕方がない、周りの客もいることだし、しょうがないことだと諦めた。変な奴に引っかかったもんだよ。

 2 図々しい男
 
日曜日、新宿の厚生年金ホールで、アントニオ古賀のリサイタルを観てきた。来週の土曜日は川崎体育館でリサイタルがある。トリオロスパンチョスの作曲した「その名はフジヤマ」はかなりヒットしている。パッカーションの渡辺邦彦も、グエンカオキ(ベトナム戦争時の南ベトナムの空軍司令官)似で、なかなかイカシテル男、こちらも観もので楽しみだ。
 夕食は自炊することにした。 夕食といっても一品物で、今日は餃子を作ることにした。餃子は韮やニンニクはあまり使わない、翌日電車の中や社内でも周りに迷惑をかけるからだ。
 ビールで三十個くらい食べる。今日も三十個作った、夕食はそれだけのもの。
 さて、食べようとしてビールの栓を抜いたとき、チャイムが鳴った。出てみると、何と!あの大食漢のシンガーミシンの男が立っていた。
「や~省ちゃんこの間はごちそうさまね~」
 この男お前も半分払えよ、と言いたかったが。しかしどうしてここが分ったのかなと不思議だった。
「ちょっとお邪魔するね」
 と言って、入れとも言っていないのに図々しく私を押しのけるようにして勝手に入ってくる。
 テーブルの上の餃子を見て、
「おっいい匂いしてる~と思ったら餃子作ってんだ~」関係ないだろうがあんたには うっかり、
「一緒にやるかい?」と言ってしまった。 
 この一言がこの男ととんでもない関係になってゆくのだ。
「じゃぁご馳走になるかな、省ちゃんがせっかく勧めてくれるんだからね」と言って勝手に私の椅子に座る。
 せっかく?、この辺が図々しい、この男の性格だろう。
「それは私の椅子だ、あんたはこっちへ掛けてくれ」ジョッキをもう一つ出してビールを注いでやった。
 私はゆっくり、一時間ほどかけて食べる。テレビは巨人と大洋戦をやっている。私は水原時代から巨人フアンだ、長嶋選手は今日もタイムリーを放っている。
 シンガーの男は野球には興味がないらしい、牛飲馬食のごとくに食べている。
 私が二個目の餃子をつかもうと箸をやったが。えぇ~無~い、なっなんと、この男全部平らげたのだ。挙句にシンガー。
「やぁご馳走になったな~。省ちゃんは、しょうだから少食なの?あんまり食べないんだね、うははは~」
 下手な洒落なんかでこの野郎、ぶっ殺すぞぉほんとに。結局その日の夕食は外食に変更せざるを得なくなった。
 持ってきたファイルを放り投げたままにしておくものだから中身が出ている。「トモ子」とか書いてある。彼女にラブレターかな、こんな男にも彼女がいるのかい、どんな顔をしてんだろう見てみたいものだ。 
 帰り際に男は、
「省ちゃん、お金都合つく~?」人差指を一本出す。
 この間知り合ったばかりだぞ、どこまでも図々しいやつなんだ。まぁ千円ぐらいならと、財布から千円だして渡そうとしたが、シンガー男、
「省ちゃんこれ何」と人差し指を振る。
「ん、だからイチだろう」
「うわはははは~だから省ちゃん、イチ、つまり一万円さぁ、うははは~冗談が濃いね省ちゃんは」   
 こいつ、どこまで図々しい奴なんだ。
 一万円貸してやった。
「悪いな~今度ちたとち返すから、じぁね」
 また来る?なんだいこの男はほんとに、そのお金はあげるから、もう来なくていいよ。

 3、シンガーソングライター

 それから五日後、今日の夕食はピザとビール。ピザも自分で作る、うまくできた。
 さぁ食べようというとき、「ピンポ~ン」誰だろう?出てみると、またあの男、シンガーの男が立っていた。またまた勝手に上がる。
「おっ、ちょうはピザぁ作ってんの?省ちゃんは何でも作れるんだね、すごいな~省ちゃんは、省ちゃんを尊敬するよほんとに」
 とうとうまた、シンガー男と夕食を伴にすることになった。ピザは半分に分けて出した
 この男はどんな環境で育ってどんな生活をしているんだろう、バガボンドか。ピザを食べながら聞いてみた。
「君はどんな仕事をしているんだい」
「俺が~俺はさ~省ちゃんと初めに会ったとちに言ったはずだぞ、スンガソングライダといってさ、今はさっちょぐ(作曲)の方をやっててね」
 男はもう大きなピザを食べ終わっている。私の残っているピザをチラチラ見ながら。
「ある先生がら見てもらっているけんど。だけど俺の先生はながながちびすいんだ「もう少しどうにかならないかねこの曲、こんなんじゃねぇ」って言うんだ。俺はいいちょぐを作ってると思ってんだけっどね」
 ふ~ん、シンガーソングライターか、今までシンガーミシンのセールスマンと勘違いしていたのが少し可笑しかった。
 今日も一万円何とかと言って一万円持って帰っていった。
 そのころ私も作曲の真似をしていて、二十曲ほど作ってあった。NHKの番組「あなたのメロディ」に、二度応募したが、いずれも採用されなかった。この番組から北島三郎の『与作』が生まれたものだった。
 それから五日目、またまた男は現れた。また二人分の夕食を用意する。
 夕食を食べながら。
「ぼくも曲を作ってるんだけど、よかったら見てくれるかい?」
 と、言ってみた。私は素人、かれは勉強してるから私の程度を見れるはず、すると男は
「いやいや、すろうと(素人)のは見たってしゃながべな)」
 バカにしやがってこの~。嫌なところもあるなこいつぁほんとに、自分をプロの作曲家と思ってやがる。青森の津軽地方の人はこんな言い方をするものかな。
「じゃ、あんたのを見させてもらっていいかな、僕なんかとは違うんだろうな,素人ばなれってものはねぇ」
 少し皮肉っぽく言ったつもりだったが、男は得意そうに。 
「んっ、いいよいいよ、今度来るとち持ってちて見せてあげるよ」
自信満々、結局この日も一万円持って帰っていった。

 4、作曲家 船村徹
 男は、五日目毎に決まって来るようになっていた。なぜ五日目に来るだろうとそのころは不思議だった。あとで知ったことだが、五人友達がいるといって、毎日夕食時に現れて、そこで夕ご飯をご馳走になる、だから毎日の夕ご飯は友達のところで済ましているのだ。金に窮していることはうすうす知ってはいたが、そこまでやっているとは。それを知ったときは少し可哀想だった。ほかの仲間はこの男にお金は出していないようだった。
 この頃から私の預金の取り崩しが始まった。利息のいい社内預金はもう二十万ほど減っていた。
「ほれっこれがおれの書いたちょぐ(曲)だぞ」
 上司が部下に、でき損なった書類を投げ返えすような態度で譜面をよこす、貧乏ゆすりなどもしている。
 その譜をみて驚いた。全然譜になっていない、曲になってない、音楽というものを分かってないじゃないかこれは。これじゃ小学生が見ても曲になってないことが分かる。一小節の中に四分音符が五個も六個も入っていたり、全音符でいいところを休符を3個も入れたり、四拍子が記号のないまま途中からいつの間にか三拍子(ワルツ)になっていたりと
 ますますこの男を哀れに思えてきた。
 ー 津軽に帰ったほうがいいんじゃないか と、素直に言いたかった。
「ところで君の先生はなんという先生なの?」
 聞いてみた。
「あぁ、俺の先生はね、フネ~何んとかさんだ、俺はフネさんと言ってるよ」
 なんだぁこいつ、自分の先生の名前もはっきり分からない?なんていう男だ。
「自分では有名を装っているがね、俺のちょぐ(曲)を見られねぇしと(人)だねぇ」
 なにか先生に不満があるような言い方だ。
「聞いたことないが、その先生ってどんな字をかく?」
「フネよフネ、海の船に、ムラは、おらこんな村嫌だ~ってあるべぇ、その村に、名前は確か、こったら字だったかな」
 人偏を書いてから斜めチョンと、行人偏を書いて、青を書いて、攵(ぼくにょう)。字は間違えて書いているが、
 えっえ~っ、船村徹だ~。
「おいっ、それは船村徹先生じゃないか」
「ん、そうそうそう、省ちゃんよく知ってるね、たしかそんな名前だ。俺の近くに住んでいるよ、生まれは栃木とかで大分訛りがあるしと(人)だよ」
 船村徹と言えば、美空ひばり、春日八郎らの数々のヒットメーカーで、今やあの古賀政男、吉田正らと肩を並べている作曲家である。
「船村先生にあんたの作った曲を見てもらってるの?」   
 それでもシンガーはピンと来ていない。
 お前本当に莫迦かよ、早く津軽へ帰って、ベゴでも飼っていたほうがお前の為だぞ。
 だが、彼のがんばっている姿を見ていると、そのころの彼には若いうち頑張れ、その苦労は無駄にはならないからなとしか言えなかった。

 5 故郷(ふるさと)の雪
 五日目毎に来るシンガー男。お金のほうは断ればいいはずなんだが、可愛そうなところもあり、憎めないところがあり、また、将来に期待するようなところがあったりと。そんな変な関係がズルズルと二年近くも続いている。 彼に貸している金は百五十万円を超えていた。田舎からの財産分けでの三百万にも手を付けた。 私の社内預金も大分減っていた。
 不思議なもので、この頃になるとシンガー男が来る日には、夕食もお金も用意しておくようになっていた。私の心理状態もまったく奇態な状態にあったのだった。
 時々シンガー男の新しい曲を聴かせてもらうが、全く褒めようのない曲ばかりつくって持ってくる。私の部屋から勝手にギターを持出し、新曲だ聴いてくれ、と言って、
  ゆっくり走ろう青森県、早くはけても岩で県イェッイェッ、、
 エルビスプレスリーの真似らしいが、まるで、キチガイ猿にギターを持たせたようで、耳をふさぎながら見ていた。
 ある日シンガー男に。
「船村先生に私の作った曲を見てもらうことはできないかね」
 と言ってみた、するとシンガー男は。
「あ~あ、えがべ、省ちゃんがそんなに言うならいいよ、明日いぐごどになってるがら。でも、ちたいすんなよな、あの先生、ながながちびすいがらよ」
 私の楽譜と、一万円持って鼻歌をしながら帰って行った。
 船村先生は、私の曲をどのように評価してくれるか、五日後シンガー男の来る日が楽しみだった。

 船村先生宅
 自分の作った楽譜と私の作った楽譜を持って船村先生宅に。
「ありゃ~、ちれいにさがせだもんだね~こりゃま~」
 船村先生の玄関には、大きな白牡丹が咲いていた。栃木の農園を営むフアンの方から送られたもので、船村先生も大事にして開花を待っていたものだ。
 チャイムを押した。
 船村先生が出てきた。船村先生にすれば、また来たかどうにもならないやつが、と舌打ちをしたくなる。
 シンガー男が渡した二枚の楽譜を見ていた船村先生。男の作った一枚目は三秒ほど見て、すぐ下のほうへ回し、もう一枚の楽譜をじっと見ていた。 
「ん~んん~ん?」
 船村先生は眼鏡をはずし楽譜を覗き込む、そして大きくため息をついた。
「おい、これはすばらしいよこっちは~。君はいままで才能を隠していたんでないかね。今までの曲はふざけてかいていたんでないか~。こんな曲を書けるなんて。それに控えこっちはふざけて書いてんの」
 これはこの男の書いたものではないな~と、船村先生は思ってはいるが
「これはいいぞいいぞ、で、ほらここに作詩者名と作曲者名が書いてないぞ、この譜に限って忘れるなんて、もう」
 シンガー男の肩を楽譜で小突きながら、楽譜の右上のところに書きなさいと言ってシンガーに楽譜を返えした。
 シンガー男は、船村先生からこんなに長く言葉をかけられたのは初めてのことである。
「あぁ、かち忘れてしまいました、ははは」
 初めて褒められた作品(他人の)に、鉛筆を舐めた後。
『作詞・作曲、由郁蔵、歌、由郁蔵』と書き込んだ。
 その曲が、『故郷(ふるさと)の雪』である。
 私は、この曲をプロの歌手が歌ってくれるのなら、ソフトな声で、林伊佐男か三橋美智也、女性歌手なら美空ひばり、島倉千代子あたりが歌ってくれれば、とイメージしていた曲だった。
「はっはぁ~由郁蔵か、中々いいんでないかね~」
 船村先生は栃木訛りで、今度は由郁蔵、と言うペンネームを褒めた。

 6、作詞作曲 由郁蔵
 楽譜を渡したときから、シンガー男は来なくなった。
 貸しているお金は、返して貰える期待はしていなかったが。私の預金も五十万円を切っていた。
 彼が来なくなって少しは安心だった。 だが、心配でもあった。何で来なくなったのか、事故にでも遭ったのか、路頭でノタレ死んではいないかと、テレビのニュースや新聞は欠かさず見るようにしていた。
 シンガー男が現れなくなって一月(ひとつき)ほど経ったある日のことである。蒲田駅前商店街を歩いていたときのことだった。蒲田駅前商店街の中央のあたりに、スター楽器店があった。(平成二十二年閉店した、私が小学校の頃からあったお店だった)
 楽器屋さんでは、一日中レコードを流して商店街の人達の心を和ましてくれる。
 その前を通り掛かったときのことである。どこかで聴いたことがあるような歌が流れていた。
  好きよあなた今でも~…♪
 粗削りのダミ声、訛りある発音、どこかで聞いたことが……はてな?確かに聴いたことがある声、メロディ、なんていう曲だったかな~ 。
 少しして体が震えた。 あっあの曲だ。私の作ったあの曲、『故郷(ふるさと)の雪』だ。イントロの部分は編曲者が書いたものだろうが、間違いなく私の作った、故郷の雪だ。
 楽器店に飛び込んだ。
「おいっ、今流れているこの歌はなんていう歌だ、誰が歌ってるんだ」
 店員もびっくりするくらい大きな声が出てしまった。
「えっいま流行っていますよ、由郁蔵さんの、「雪の國」と言う曲ですよ、聴いたことないですか?」   
うるさいこの生意気な店員野郎めっ
 僕は目が眩んだ。
 雪の國?歌手は由郁蔵。ジャケットを見るとあの赤ら顔のあの大食漢が気取って微笑んでいる。   
 間違えなくぼくの作った「故郷の雪」だ。国を、國とわざとらしく古字に変えたりして彼らしい。あれから私のところに来なくなった理由もわかってきた
 自宅に帰ってからも、気持ちを落ち着けるのにしばらく時間がかかった。悩んだ。訴えてやろうか、訴えても負けることはない。作曲家には向いていないことで盗作だということは船村先生が証明してくれると思う。私も詞や曲を作っていて、世間が認めてくれるようになったならば、その道を職業にしたいという微かな望みをもっていた。
 だが、いつまでもこんな風に考えていてもしょうがない、気持の切り替えが必要だ。彼が歌手として成功することを期待していたではないのか、思えば、彼のことを思い、期待し、だから金もいとわずに貢いで来たんじゃないのか。この曲を彼にプレゼントしてやったと解釈すればいいじゃないのか、それでいいじゃないか、そうだこれでいいんだ。

 7 NHK紅白歌合戦
 その後も、レコードの売り上げは順調で、とうとうNHKの紅白歌合戦に出場が決まった。テレビにも時々顔を出すようになった。
 それから二月(ふたつき)は、あっという間に過ぎた。
 大晦日。私は由を励ましてやろうと思い、NHKホールに行くことに決めた。由にはしばらく会っていないから、由は喜ぶだろうな、なんて声をかけてやろうか。雪の國、からヒット曲は出ていないが、当分は雪の國でいくだろう、もし由からの依頼があったら他の曲も用意をしてあるつもりでいる。
 渋谷駅で降りて歩いた、由に掛ける言葉を考えながら。 
 午前十時頃だった。NHKホールの入口では、守衛に止められた。
「由郁蔵のサブマネージャーだが、遅れてしまって、由に叱られるかも知れない」
 適当に誤魔化して中に入れてもらい由の控室に案内してもらった。
 ホールの中はごった返えしていた。もうリハーサルが始まっているのだろうか。すれ違うテレビでみる歌手らが私にも頭をさげる。NHKの職員と思っているのだろう。橋幸夫、黛ジュン等もいた。
 『由郁蔵様』の札が下がっている部屋のドアをノックをした。
「どうぞ」
 開けた、由はソファーに横になっていて態度が大きい。そばのテレビ局の係りの者に何か注文でもつけているようだった。 
「よ~、由君、しばらくだね~」
 由は振り返って私を見たとたん。とんでもない人に出くわしたような顔つきになった。由は狼狽の色を隠せなかった。
 だが次の瞬間、
「誰よあんだは、いま取り込み中でね、分かるだろうちょう(今日)は。勝手に入ってきちゃ困るよほんとにぃ。おいっ警備のしと、何やってんの、そのしとに出て行ってもらってくれよ」
 たとえ気に入らないフアンであってもこんな言い方はない、さらに小声で、
「こういう奴等は後で、「お金を貸してぇ」なんて必ず言うからね、ほんとに冗談じゃないよ」
 私は鈍器で頭を殴られたような気分だった。
 警備員は出て行くように言って、ホールの出口までついてきた。
 蒲田のアパートにもどった。
 後悔した。なんでノコノコとNHKホールまで行ったのか、由を励ましてやろうと思ってしたことが、返って由に不安を抱かせてしまった。 だが、あのときの由のことば、「誰よあんだは。金を貸してくれなんて」は、しばらく頭から放れなかった。
 夜を待とう。
 買い物をして、夕食を外済ませて帰ったのは、夜の八時を過ぎていた。
 テレビのスイッチを入れると紅白が始まっていた。   
 そろそろ由の出番。今は日吉ミミが、たかが女の人生じゃないの、を歌ってる。
 由、ほんとにたかが人生だよ、由も人生の半分(なかば)は過ぎたんだろう、長い人生というがほんとは短かい人生さ、短い人生を精いっぱい生きることだ、由がんばれ
 いよいよ由の出番、松橋圭三アナウンサが、由を紹介した。
「長年の苦労がついに花を咲かせ実をつけました。遠い北の国、雪の津軽からスターが誕生しました~。由郁蔵さん雪の國」
 大きな拍手に登場した由。紺のスーツに襟のラメが光っている。笑顔をつくってはいるが目は笑っていない。昼間ぼくと会ってしまったことが気になっているのだろう、脂性の由は、今は特に額に脂汗が多く滲み出ていた。

 8  百倍の利息
 年が明け七日経った。由から手紙が届いた、相変わらず下手な字で書いてある。
 内容は次のようなものだった。
『省ちゃん、この間は本当にすまなかった、許してくれ。誤っても誤りきれるものじゃないが、なんであんなことを言って省ちゃんを追い出すことをしてしまったのか、俺にもわからない。俺は今スターになった。これは省ちゃんのお蔭だと思ってる、感謝している。省ちゃんと出会っていなかったら今の俺はなかった、あの曲と出会っていなかったら今は無かった。でももう一度だけお願いがある、あの曲は俺が作ったことにしておいてくれ。(相変わらず図々しいよ)俺は船村先生に言われたよ「この曲は誰がつくったの~」って、ある程度、俺を疑っているような言い方だったよ。(当たり前だよ)俺は、「先生俺が作ったよ、でも、ちょこっとだけある人から直してもらっただけ」といったら先生は、「そうだ ろうな~少しだけ?お前だけではな~」って、少し俺を馬鹿にしたようなことを言ったよ。俺は今の座から降りたくない、お願いだ からこのままにしておいてくれ、お願いだ。借りたお金は確か百万円ぐらいだったかな、(バカ百五十万だぞ)遅くなってしまったが返すから。利息 のつもりで少し余計にして返えすから遠慮なく取っておいてくれ。おかげでね、『雪の國』は売り上げは一億円を越えたけどね。(自慢すんなよバカ)小切 手を同封するから気にしないでとっておいてくれ。あとね、俺は今忙しくって省ちゃんが会いに来てくれてもあまり会 えないかも知れない、もうほとんど会えないと思うから、分かってくれるよね、俺は今スターでね結構忙しいんだよ、じゃね~、体に気をつ けてね』

 何が体に気を付けてだよ
 封筒には手紙と一緒に、線引き小切手が入っていた。とり出してみると、チェックライターで。『¥200,000,000圓』と打ってあった。
 えっえ~?、これは~?。ニ、オ、ク、円じゃないか~。桁を繰り返し読んでみたが、間違えない二億円だ。
 由は多分、¥2,000,000円と打ったつもりだろうが、相変わらずの馬鹿がミスッたな~。事務所に内緒で振り出したんだろう さて、この小切手をどうしようか、テーブルの上に置いてしばらく考えた。二億円、恐ろしい金だ。一千万円もあれば一生遊んで食ってはいける。二億円、一人じゃ使いきれない金だ。
 しばらく考えた
 考えた結果。 
 よしっ、由はこれからもどんどんお金は入るだろうし、デビュー曲「雪の國」が問題になっても困るだろう、訴えることは出来ないはずだ。人間万事塞翁が馬、運の女神がこっちを向いたってことだ、頂くことにする」

 今日は健康診断を理由に早引きし、他銀行へ行って口座を作って入れた。もちろん自行の川崎信用金庫には入れられる訳はない。日本勧業銀行横浜西口支店に口座を作って入れた。
 三日後が待ち遠しい、小切手の現金化には三日かかるのだ。

 三日経った。百万円を引き出しに日本勧業銀行に
 支店長が出てきて挨拶をしてくれた、見送ってもくれた。いくら大手の銀行でもの個人預金者はそれほどいないものだ。
 百万円を胸のポケットに、生まれて初めて大金をもって歩く。昨日までは千円券入りの財布から万券入りの財布になった。しかも百万入りの財布に。日本一の大金持ちになったと錯覚をするくらいの気分。俺の人生は明日から変わる、いや今日からだ、今からだ。明日は五年間勤めた川崎信用金庫本店に退職願を出そう。
 由の慌てる顔が見えてきそうな
 

9 人生は甘くないよ
 案の定、百万円下した日に由から手紙がきた。内容は次のようなもの。
 省ちゃん元気かい、あの小切手を受け取ってくれたかな。人はよく間違えをするよな、間違って数字を書くこともあるよな、俺もよくやるんだ、ときどき計算を間違えたり桁を間違えたりしてね。(やはり事務所に内緒で由が振り出したものだったのだ)間違えに気がついた人は言ってくるけどね。中には気がつかないままの人もいたりして。省ちゃんに行った小切手は間違っていなかったかな~、桁なんかに間違えがあったのかなぁなんて思い出したからね。省ちゃんも気がついたら遠慮なく電話を呉よ。それから、お金が必要なときは言ってきてよ、今のぼくには多分都合つけられると思うからね、だいぶお世話になったものね。もう一回小切手の金額を確かめてくれるかな~。それからね、この頃省ちゃんに会いたくなって来てしまってさ~、省ちゃんの元気な姿も見たいしあの頃のお礼もしたいし、あの頃も懐かしくなってきてね、最近ぼくは感傷的になってきたのかなぁって思うようになったりして

 読んでいて可笑しくなってくる。この前の手紙では、会いたくないようなことを書いておきながら。笑わせやがる
 文中どこにも小切手が間違っていたので返してくれとも書いていない、書けない訳だ。私の方からの正直申告を待っている内容のもの。
 由、人生はそう甘くはないよ。手紙は破いて屑かごに捨てた。
 小切手は既に東京手形交換所を通過し由の口座から引き落とされているわけだ。金融機関では、不渡りが発生した場合には全国の金融機関に翌日一番に通知されるシステムになっている。不渡りは当然銀行取引停止になるのだ。不渡りを撤回する方法もないわけではないが、時間的にも間に合っていないし、由には無理だったろう、事務所で一時立替えるしか手はない筈だ。もし二億円の金が由の事務所になければ、不渡り、マスコミに「由郁藏の事務所不渡り」が報道され、二億円の振りだした理由も聞かれるし、由にも事務所にも大きなダメージとなり、由の歌手生命は終止符をうつ。不渡りになっていない訳だから百万円下ろせた訳だ。由の事務所では今頃慌てているだろう。
  由、お前は今からその事務所で三年は無償で働んだな真面目に。そして金の有難みを知れお前のためだ
 その日のうちに、日本勧業銀行横浜西口支店に行き、一億五千万円を一旦引き出し、三つの口座を新たに作り、無記名定期預金にして、それぞれ五千万円づつ入れた。四千万はそのまま普通預金にしておき、残りの八百万円あまりは手元に置いた。

  無記名預金 
 住所氏名を明かさずに印鑑と証書だけで積み下し出来る定期預金。 税金逃れや正当性の無い類の預金が多かった。
 証書や印鑑が火事や盗難にあった場合には、確認的に降ろすことはできないこともあり、問題点が多かったことから、
 大蔵省は、昭和63331日付けで無記名定期預金の廃止の通達をしている。

 10 夢子
 横浜、伊勢崎町キャバレー『ラタン』。
 新人歌手の、ミカワ ケンイチ、とかの、まだ詰襟の似合いそうな男のショーを見ながら、ワインを飲んでいる。
 ワインは、ロマネコンティS。私はワインなど好みじゃない。ワインの味などさっぱり分からない、最高級のものだというので試してみたかっただけだ。
 注文したときには支配人がわざわざ説明をしに来た。
「こちらのワインは、45年ものでしてフランスの当店に限らずこの代物は
 後ろへ廻り肩を揉んでくれんばかりに言う。しかし支配人は、 こんな若造に支払いの方は大丈夫かいと、支払いを心配しているのだ。化粧室に行くときにも、支配人の目は離れなかった。無理もない、ロマネコンティSは、グラス一杯が四十万円の代物なのだ。一般人の年収にあたる。
 
 夢子という子が目当てで通うようになった。
 秋田生まれの夢子と話をしていると、ホステスと話をしている気がしなかった、何でも話せた。
 夢子の父は、夢子が十三歳のとき癌で他界した。漁師だった父の残したお金だけでは母と妹と三人暮らしで食べて行くのがやっとで、生活は楽ではなかったと言っていた。夢子は中学を卒業すると同時に横浜に出てきた。腰掛程度に就職した大手の電気会社は二年でやめてこの世界に入った。真面目な女の子にしてはあべこべな転職に思うが、夢子は。
「女はお金をたくさん貯めて幸せな結婚をして、幸せな家庭を持つことが一番だと思っているの」
 この齢で将来のことを真剣に考えている女の子は少ない。給料もボーナスも貯金し、無駄なものは一切買わないようにしているという。
 普通お店ではこんな話はしないものだが、夢子は私にだけは話してくれた。そんな夢子が愛しかった。
「幸せな結婚は相手によりけりさ、まっ、しっかりした男を見つけることだな」
 夢子の穢れのない夢を叶えてあげたい気持と、護ってあげたい気持ちもあってか、ラタンに通うようになった。夢子と家庭を持ったらどんなに楽しいだろう、とも考えたことがあった。いまの俺だったら夢子を幸せにしてあげられる自信はある。だが夢子には、そんな話など一度もしたことは無かった。今は話せない、今の私は悪人なのだ。

 今日は夢子は休みだという。休みの日でも外へは出歩かないと言ってたが、だれかとデイトでもしているだろうと、少しは気になった。
 夢子の本名は、杉江那々子と云った。
 そばには二十歳前だろうか、四人の女の子がおとなしく座っている。わたしは自分からは話をするほうではない。夢子とはよく話がはずんだが、私は話上手ではない。女の子があれこれの話をもってくるのでなんとか間がとれる。
 女の子は、客が勧めないと自分では勝手に注文しない。ラタンは高級キャバレーで通っている、ホステスの躾もよく行き届いている。
「好きな飲み物を注文しなさい」
 ボーイを呼んだが。それでも彼女らは、それぞれにビールしか注文しなかった、それにバカ飲みもしない。

 ショーの第一部が終わりのときだった。
 少し騒がしいので、その方を見たら、なんと!由郁蔵たちが入ってきた。 支配人が出迎えたらしく、支配人の後に由郁蔵とマネージャーらしい男が続いている。
 こんなところに現れるなんて 
 私は由郁蔵の方を見ないようにしている。
 だが、由たちは、私たちのすぐ後ろの席をとってしまった。バカ支配人め
 フロアは暗いのでまだ由には気づかれていない。
「あらっ由郁蔵さんよ」
 女の子が私にいう。私は由に絶対に見られたくないのだ。
「ちょっとショーがよく見られないんで、席を移動していいかな」
 と言い、由たちに気づかれないように猫背をつくって移動した。由から死角になるような場所に。
 女の子も、わたしは由郁蔵には関心はないだろうと思ったらしく四人一緒に移動した。
 冷や汗が出る。なんでこんなところで由に

 ―― そうだ、気になっていたあの二億円のことを由にうかがうチャンスじゃないか。――
  隣にいる葉子という子に化粧室の案内をたのんだ。
 化粧室の近くで
「実は、葉子ちゃんに頼みたいことがあるんだが」 
「どんなこと?楽しいことならなんでも」
「楽しいことで簡単なことさ。由が来てるだろう、実は由とは古い付き合いなんだ」
 葉子はちょと驚いている。由とはデビュー以前からの友達だと言い、
「実はイベント契約のことで、こっちは無理なことを注文をさせられていてね、まいっているんだよ。今は顔をあわせたくないんだ、奴は今売れっこだろう、簡単に断るわけには行かないようなことなので
 葉子はうなずいている。 
「それでわたしは何をどうすればいいの?」
 こうくればOKしてくれることはまず間違えない。
「ん、ただ、由のそばに付いていて由たちの話を聞いていてくれればいい、その話をあとで私に教えてくれればいいんだ、イベントには関係ない話をするかも知れないが、それはそれでいいよ。あとね雪の國をほめてほしい、あれはすばらしいからね」
 その話に反応する由をみたかった。
 葉子に一万円握らせた。
 葉子は、
「こんなことをされては、夢ちゃんに申し訳ないわ」
 と、戻そうとしたが。
「余計なものを買わず、あんたも貯蓄しなさい」
 と言うと、葉子はにっこり笑い小さなバックにお金を仕舞った。
 
 翌日の昼過ぎ、葉子からの電話に起こされた。
「あれから由さんたちは三十分くらいで帰りましたが、イベントの話は出てこなかったわ、お金の話しか、二億円をどうするかとか、すごいお話よね二億円って。それをどうして探す、とか、探したらいいかとか、そんな話だけでイベントの話は
「あぁわかったありがとう、話は後で聞く」
 三時に川崎駅前の日航ホテルのロビーで会うことにして電話を切った。
 昨晩は少し飲みすぎたか頭がすっきりしない。ハイライトに火をつけた。
 二億円か~どっちにしろ端た金ではない。しかし事は表には出せないはずだ。どんな手を打って来るかこりゃ見ものだな
 輪にした煙草の煙を見上げながら、悪人になっていく自分を感じていた。。

 1、死んでやるか
 二億円のことで私を探していることには間違いはなかった。その後由たちは、興信所にどうのこうのと言ってたらしい。
 事に警察が入ると、マスコミも入り、詳しく内容を聞かれたり身辺を洗われたりするので由にとっては不利なのだ。その点では、探偵や興信所にはマスコミは挟まらないので秘密約束は守られやすいものである。
 由にはまだ自由に使える金はないはずだ。二億円は事務所から前借りをしただろう。二億円だ、血眼になって私を探すだろう。
 私はあることを思いついた。もし私が死んだことになったらばどうなる。由は私の田舎は岩手、ということだけで実家は知らない、由は諦めるしかないだろう。そうなれば逃亡生活のようなことをしなくて済む、堂々と社会を歩んで行ける。
 では、その死んだと見せかける方法はどうする。殺された、じゃ面白くない。自殺、はありえないと思われる。…⋯誤って車に、海で、山で。いろいろ考えたがどれも成功する確率は低い。だが、何れかの方法で由から消えてやろう。

 12 恩人
 私はそれから二度住所を変えた。
 由郁藏は、とうとうプロの探し屋に依頼することにした。
 新橋駅前のビル三階にある「寺田興信所」を訪れていた。もちろん一人でだった。
「彼が住んでいるところは、以前はここだったんですが、今はどこにいるのか引っ越ししたらしい」
 落ち着かない様子で私の元の住所をメモして寺田定雄に渡した。当然のことながら小切手のことは話さなかった。
 由郁蔵はあれから必死になって私を探してはいるが、一人ではこの都会で逃げている人間を探すということは、雪にバラ蒔いた塩を拾うに等しい。
「わたすのだいずな恩人です、ぜし探してください、恩返えしをしたいから、」
 ポケットから封筒を取り出し、テーブルの上に置き、汗を拭きながら、 
「十万円あります、住所さえわかればいいのです、結果次第ではもう少し
「それほど由さんの大事なお方であれば、お任せください」
 寺田は、さすがスターだ、十万円とは 
 由郁蔵の依頼要件は別にあるような気がした。恩人を探すのにこんなにも出す(出費)ものなのか、しかも大スターが。だが事を細かく聞こうとすると依頼を断られることも今までにも経験している。由郁藏からはそれ以上は聞かなかった。
 封筒の中身を覗いて十万円を確認し、領収書を書いた。 由には不要な領収書を
「デビュー以前お世話になった人で、今はどこに住んでいるのかわからない、わたしがスターになったものだから、彼は遠慮して私に近づきにくいのかもしれない、だが私は会いたい、会ってお礼がすたいから」
 と、心にもないことを言った。
「期限は、はっきり申し上げられませんが、二週間以内にはいい報告ができると思います」
「えずにち(一日)でも早いほうがええ」
 由は焦ると津軽弁がもろに出る。
「分かりました、お任せください」   
 由はいまさらのように小切手を振り出したことを至極後悔した。黙っていても、貸したお金を返えしてくれ、と、省ちゃんは言ってこなかったんじゃないだろうか、余計なことをしてしまったためにこんなことに、と悔やんだ。

 13 偶然すぎる
 由郁蔵が寺田興信所に訪れた翌日のことである。
 私と寺田定雄が偶然にも顔を合わせたのは、川崎市役所だった。隣の窓口で職員に話をしている男に見覚えがあった。山本という言葉が聞こえてきたのである、そちらを見ると、私について職員からメモを執っている事がわかった。
 男は刑事か、興信所の者か、私立探偵だろうか。しばらくは思い出せなかったが
 あっあ~っそうだ、寺田商事の、寺田定雄だ、偶然だ、偶然すぎる。私が信金のころ、寺田は小さな製作所を経営していて、毎日資金繰りに東奔西走していて、彼のためだけに勘定の〆切りができなかったことが何度もあった。寺田はやはり会社を畳んだのか。そして今は探偵か興信所をやっているらしい。
 私は寺田を区役所の地下にある厚生部の喫茶室に誘った。
 寺田は、私が誰だったか思い出せない様子で首をかしげながらついて来る。
 ここは職員の利用するところで一般客は利用しないのが普通だが、経営者は一般客だとわかっていても断りもしないものだ。
 私が先に座って、手招きで寺田を座らした。
 コーヒーを注文した。
「寺田さん、初めてではありませんね、あなたが探している者は私じゃありませんか、興信所ですか?」
 興信所と言われ、図星を差された寺田は、大げさに目を大きくして、さっそく胸のポケットから名刺を出した。まだ私を誰だったかはっきり気付いていない。
『寺田興信所長寺田定雄』
 やはり、興信所か、そしていま私についての調査とは、由郁蔵からの依頼を受けてのことだろう。
 今になってやっと気が付いたらしく、太った色白の寺田はさらに眼を大きくし、
「はっ、驚きましたなこれは~またどうして、どうゆうことですか。たしか川崎信用金庫の山本さんでしたね」
「寺田さん相変わらずお元気で
 目の前にいるその寺田は今は興信所をやっている、そして今こうして由郁蔵の依頼で私を。こんなことって、千や一、いや万が一にもあるものじゃない、神の悪戯にしても行き過ぎている。
 まてよ~寺田を利用することはできないものか、さっき寺田に会ったときから考えていた。
 以前は寺田が客だった、いま私が客になればいいじゃないか
 当時の寺田は毎日のように資金繰りにあっちこっちに走り回り、左手に鞄、右手にタオル、汗を拭きながら時間の過ぎた入金に駈け込んでくる姿が思い浮ぶ。今は仕事にも余裕があるらしく更に太っていた。
「いやぁ~世の中は狭いと言いますが、そうですか
 寺田は依頼人に労せずにして会うことができた、万が一にもあることじゃない。こんなにも早く目的が達成できるとは思っても見なかった、由郁蔵には自分の優秀さを誇示できる。
 寺田は本題に入った。
「あぁ実はですね、歌手の由郁蔵さんはご存知ですね」
 やはり来たか、ほんとうは聞きたくない話だが、逃げるわけにはいかない
「由さんは最近あなたと連絡がとれない、以前たいへんお世話になった人で、大の恩人でとても感謝していると言っていましたよ。しばらく音信が途絶えてるので心配しておりましたよ」
 寺田は、本当の話だと思っている由の嘘話を私に伝える。
 コーヒーが運ばれてきた。
 私はふっと案が生まれた。寺田を利用して、これは上手くいくだろう 。
「そうですか由郁蔵がそう言っていましたか他には何か言ってませんでしたか?」
 小切手のことは出てきそうもなかった。
 呆れたもんだ、というふりをして、
「寺田さん、私は由の恩人なんかではありませんよ」
「へっ?」
 意外な言葉に、寺田は変な声を出し、砂糖の盛ったスプーンの手が止まった。
「彼とは腐れ縁でしてね。こんなことをあなたに言っていいかどうか。今は彼から逃げている身なのです」
 寺田は、合点がいかない顔をしていたが、少しすると。なるほど、聞きましょう、と言いたげに頷きながら、コーヒーにスプーン五杯の砂糖を入れた。砂糖嫌いの私は吐き気がした。
「他人には恩人などと言いながら、私に仕事を続けさせる気なんですよ。由のイベントをやるようになって、これは幸いと思っていたのですがね、とんでもない、これまで一銭も払ってくれません、彼のイベント一回の額も半端じゃありませんからね。同業者の話も本当だったんですよ「由だけは止めておいたほうがいいよ」と、忠告はされていたんですがね
 ハイライトに火を点けた。
「話が前後してしまいましたが、あれから私は信金を辞め、自分でイベント屋を始めたんですよ、それまでは順調だったんですが、由のイベントを専門にやるようになってから、おかしくなってきましてね。そんなものかなと思いますよあの世界は。由さんだったら三百万くらいなら何とでもなりそうですがね。私は諦めるしかないと思っているんです、こんなことを寺田さんに言ってもしょうがないことですがね」
 遣りきれないというように、一口吸ったハイライトを灰皿で揉み消した。
 寺田は、ほんとうですか、というように眉をひそめ私に同情してきている。
「寺田さん、もし由が私を本当の恩人だと思ってくれるくらいなら、私の方から彼に連絡できるわけでしょう、彼は有名人ですからね。彼に都合の悪いことだからあなたのような方に調査を依頼してる訳なんですよ、由もやりますねぇ」
 温くなったコーヒーを一口すすり。
「そんなことであれば、今の場合も私からあなたに声はかけなかったでしょうねぇ」
 寺田は私の話にハマリかけている。もう一押ししてみるか。
「寺田さんのようなご商売は、どのような方でも依頼人は皆お客様、そのお客様は大事かもしれませんがね」 
 寺田はドロドロのコーヒーを啜りながら、
「いえいえ、私もお引き受けできない件もけっこうあるものですよ」
 善良派だと言っている。
「私は由を諦めるしかないと思っています、ですから彼から消えるのが一番だと思っています。由の無理矢理な注文や悪態振りには恐怖さえ感じるんです、夜も寝付かれないこともありましてねぇ」
 寺田は少し困ったような顔をしている。
 そろそろいいかな 
「どうですか寺田さん、由郁藏には、私が死んだことにして報告していただけませんか、私が悪いことでもしているなら別問題でしょうが」
「へっ恩人であるあなたを、、いや、あなたを、死んでいる、と報告をするんですか?」
 まわりの席には客はいなかったが、寺田は声をひそめて言った。
「ですから恩人ではありません。由郁藏は断ってしまいたいんです」
 そう決心したように真剣な眼差しを寺田にむけ。
「そうお願いできれば助かります寺田さん」
 寺田は、目の前にいる客の気持ちも分からなくはないというようだった。寺田定雄は商事会社経営の頃はルーズなところがあり会社を畳んだらしいが、畳んだ原因の一つは、お人好のところもあったからだった。
 今だ!
「これは私からの依頼ということでお願いできましょうか」
 胸のポケットから用意しておいた、小切手帳を取り出した。万年筆で、徐に、¥参拾萬円と書き込んだ。顔を見なくてもびっくりしている寺田の様子がわかる。いくら金銭感覚を失っている私でも、参拾萬円は多すぎたかなと思ったが、書いた以上取り消すことはできない、減らすわけにもいかない。
「由から手を切れれば……
と、低い声で言った。芝居だが、ここは本心でもあった。今の私は彼から手を切れれば、一千万円だって惜しくない。
 小切手を切るのは芝居だった。イベント屋をやっているという見せかけである。もちろん小切手帳は偽物で、個人では簡単に当座預金の開設はできないのである。まして今の私は当座を組むことはできない身である、そして。
「あぁそうですね、寺田さんには、こっちのほうが」
 と、いって、小切手帳からもぎ取ったばかりの参拾萬円の小切手は四つに折って畳みポケットに仕舞い、反対の内ポケットから現金の入った封筒を取り出し、三十万円を数えて寺田の前に置いた。
「これでお願いできませんか」
 寺田は、現金にしてもらえれば、これ以上のものはない。先付け小切手や約束手形などの場合、多くは現在現金がない者が振り出すものだから、受け取っても現金化するまでは安心できないものなのである。ましてや依頼内容は捜査する必要もない報告だけで、こんな楽な物件はない。
 寺田は、 一介のイベント屋がなぜこれほどの大金を持ち歩く必要があるのだろうか と、いうような疑問があったが、そんな商売の世界もあるんだな、と解釈し受け取った。
 三十万円。寺田は思いもよらぬいい客に出会ったことを幸運に思った。
「おおよその事情は分かりました、私ももいろいろな問題を扱ってきましたが、このようなケースは初めてでしてね、まっ人道上からもあなたを優先すべきと考えます、受け承りましょう」
 大金を貰う理由が、『人道上』となった。人間誰でも目の前に積まれた金の魅力には、理性を失うものである。
 その後、私の考えていた「嘘」を説明した。
「これから安心して新規開拓に励める、何ていう社名に変更しようかこれから考えます。ありがとう寺田さん感謝です」
 これを寺田は、由から依頼された翌日、由に伝えたのである,「亡くなっています」と。
 この話が由に確実に伝われば、安心して暮らせる、夢のような人生が送れる。
 「恩人の方は亡くなっていました」の報告で済むことだ。年収ほどの報酬を受け取った寺田は、鞄から領収書を取り出し、微かに震える手で、三十万円の領収書を書こうとしたが、
「それはお互い必要無しとしましょうよ」
 と言うと、寺田も、「それもそうだ」、と笑顔で了解した。
 領収書を発行すれば税金関係が発生するからである。
 髪型を変え、度なしのメガネを使うようにした。顔も整形をしたら万全かと思ったが、さすがに親からもらった顔だけは変えることだけはできなかった。
 捜索願いなども出ていないわけだから堂々と歩けるわけじゃないか。この都会に蠢いている何千万人の人が、面と向かうことはめったにない。もしも街で由に出会っても、死んだ奴がもどって来たとは思わないだろうし、会っても空似と思うだろう、似たような顔をした奴はいくらでも居るものだ。これからは逃亡のような生活をする必要もなく自由の身だ。

 14 嘘の報告
 由郁蔵が依頼してから早くも三日後に、寺田定雄から由の事務所に電話があった。
 由は期待に胸を弾ませ事務員から受話器をとった。ところが
「由さんにはとても残念なことですが、その方は亡くなっていますね~」
 寺田の芝居はうまい、言葉の力を落として私の嘘を伝えた。
「えっ死んでる?まっさかっ、、うっそだろう」
 由は、初めは寺田が冗談を言ってるのだろうと、すぐには信じられなかった。
「詳しいことは後ほどそちらに伺ってご説明しましょうか、それとも由さん事務所にお出になりますか?」
「そっちへ行くよ、冗談じゃないッ」
 由は寺田が事務所に来られても困るわけだ、受話器を叩きつけ電話を切った。
 由は寺田興信所に走った。死んでるって嘘だろう、もし本当に死んでいたら、一体あの金はどうなっている。
 苦虫をかんだような顔で飛び込んでくる由に、寺田は私の計画通りの嘘を次のように報告をした。

「その方は、川崎駅前の砂子ビルの五階に部屋を借りていましてね、そこの管理人の話だと、最後に会ったときは、「新潟に行く」と言って出かけたそうです。その方は「人生最後の勝負をしてくる」と言って出かけたそうですが、その後帰った様子はみられなく。数日たったある日、同じ五階のその人の隣の事務所から、彼の部屋から異臭がするので調べてみてくれと頼まれ、管理人が合鍵で開けたところ、悪臭の原因は、買ってきた肉を冷蔵庫に入れ忘れたかららしく、蛆が湧いていたそうです。すでに一月も経っているので、管理人は警察に連絡をし、警察はその方の知人から、「自殺しているんじゃないかな」と聞いたそうです。知人というのは、その方の近くのラーメン屋の店主で、その方と客で知り合い、お互い競馬が好きで近くの競馬場に通ったそうです。多分川崎競馬場でしょう。その人の馬券の買い方は尋常ではなかったそうです、ひとレースに百万円単位で注ぎ込んでいた、このときラーメン屋の主人は、(この人は偽金でも造ってる人じゃないか)そう思ったそうです。競馬場からお店に戻り、酒が入るとその方は、「俺は田舎の財産まで馬に注いだバカ者だ、俺のような奴がこの世にいても無意味だ、俺は死ぬしかない」と言っていたそうですが。そのうちお店には来なくなった。「おやじさんこれは俺の形見だ」と言って五百万円のハズレ馬券をくれたのが最後で、その後は誰もその方を見かけた人はいないそうです」

 由は寺田の話を信じているようだった。
なんで俺の金を湯水のように使いやがって、それでも金はもっと残ってるはずだろう、残った金はどうしたんだ
 思わず由の口からそんな言葉が出てしまった。 
「はぁ何とおっしゃいました由さん」
 寺田が聞き返した。
「いやいや、こっちのこどです、あんたには関係ない関係ない」   
 慌てた由だった。
 省ちゃんはほんとうに二億円を使い果たしてしまって死んだのか、いや全部は使い切れないはずだ。もしかして大金を持っていることを悪人に知られ、殺されたか強奪されたとか
 由には寺田の報告は真面には信じられなかった。

 15 母の夢
 品川駅は港区にある。
 寺田定雄と会ってから、川崎から品川の東禅寺近くに部屋を借りた。品川駅までは徒歩十分のところ。
 出かけるときはタクシーを使い、最寄の品川駅ではなく。神谷町、白金高輪、目黒、などと、乗車駅を決めないようにした。由が諦めず別の興信所や探偵屋を使うかも知れない、という警戒心からだった。 
 顔の整形を考えた時から、母の夢を多く見るようになっていた。子供の頃の母は、ただのヒステリックに叱る母、としか思っていなかった。
 夢の中の母は。
「近頃手紙も寄こさないが無事でいるか。まさか悪いことをして暮らしているんじゃなかろうな。お前は悪いことするような子ではないが、他人から誘われれば、そっちに行きかねないと心配だ」
 夢の中の母は、あの頃のままのきれいな母だった、今は六十に近いころか。
「人様にバカにされても、人様をバカにするもんじゃないよ。自分が泣いても人様は泣かせるようなことはするなよ」
 夢の中で言った母の言葉を、何一つ守っていない今の自分は、親不孝者になっているのか
自分が泣いても人様を泣かせるようなことはするな
 由はどうだ。由は泣いてなんかいない。あの金くらいは、三~四年で稼ぐだろう。もっと要求してもいいくらいだ。私も由にはそれだけのことをしたつもりだ。由はだれのお蔭でスターになれた。私のお蔭でだ。寺田の言ってた恩人は私だ、本当の恩人だ。隠れることもない、何も死んだことにする必要もなかったんじゃないか。それなのに何故由から逃げているんだ

「由ッ待て、近寄るな、話をしよう、話を聞けッ、由ッ来るなッ、
あのお金は全部競馬でスッテしまったよ。本当にここには一銭もない、
もうあの金は残っていないんだ、由ッ来るなッ」
 数人の由が四方八方から凶器なようなものを持って近づいてくる。
 逃げても走っても足が思うように進まない。
「来るな~ッ」
 はっと目が覚めた。全身から汗が吹き出していた。
臆病者、悪党でもいい、一人前になれ
 自分に言った。

 16 尋ね人
 白金高輪駅で新聞を買って芝公園まで歩いた。普段の夕方にはアベックで一杯になるこの公園も昼とあってか、二人連れは少なかった。
 ベンチで広げた某新聞の『尋ね人』の欄に目が止まった。
『省ちゃん無事でいるか、連絡を待つ』
 たったこれだけの字数に、心臓がドキリと音を立てた。
省ちゃんか。省とつく名前はこのマンモス東京には何千人もいることだろう。しかし、新聞を利用する、これが子どもだったらこの欄には載せないものだろう。また、老人や年配者にはちゃん付けはない、だとすれば由か、由が私に言っているのではないか……。いやいや由には私は死んだことになっている、そんなはずはない。だが、『連絡を待つ』だけなのは、その人は由の連絡先を知っているから連絡先は省略しているのだ、すべて私が該当する、そんな
 寺田の報告を由は信用していないのか。いや待てまて、省ちゃんは私だけではない、ほかにもこの東京にはたくさんの省ちゃんがいてドラマを作っているだろう。
 頭は交錯する。
 私ではない
 そのページは破いて丸め近くの屑かご入れに投げこんだ。
 
 高輪プリンスホテルのビヤガーデンは、ほぼ満席だった。本日のショーは、引田天功のイリュージョン。引田天功は、横浜学園高校では私の先輩にあたる。
 ショーのクライマックス。美女が黒いビロードの袋を被ってボックスに入り、一瞬のうちに美女とライオンが入れ替わる。お馴染みの入れ替わりのトリック。
 ショーが終わりに近づいたときだった。三つほど離れたテーブルに座っている黒縁眼鏡の男が、先程からこちらをじっと見ているのに気がつき、私はハッとした。私はそれを覚られないよう、舞台に向かい手を上げ天功に拍手を送った。あの男は一体誰だったかな。
 ショーが終わり客席が再びざわめきにもどった。男は同席の人とは話をしていないので一人だということが分かる。私が男の方に顔をむけると男は目を逸らす。
 思い出せない、ラタンで会ったような気もするが違うな、どこで……。その男は席から立った。お手洗いかな、そうでもない、佇立し夜景を眺めているが、メガネの脇から私を監視しているようにも見える。
 もしかしたら、二億円の事の前の、信金の頃の客で会ってた人物であったかも。二億円には関係ないかもしれない。
 私は余計なことまで考えるようになっているのか。

 17 宵待草
 ×月九日 開店早々のラタンに入った、三ヶ月ぶりだった。
 支配人が飛んできた。
「いらっしゃいませ。しばらくお見えになっていないので心配してましたよ、お元気でしたか」
 もともとへつらい言しか言わないこの支配人をあまり好きではなかった。
 適当なボックスを選んで腰を下ろした。客はまだ私一人だった。
 葉子と二人の女の子がきてボックスに座った。
「しばらくお見えにならなかったわね」
 ビールを注ぎながら葉子は、私の顔色をうかがいながら素っ気なく言う。いつもの葉子ではない。二人の女の子もビールを勝手に注いだ
「いただきま~す」
 だが葉子の様子がいつもとちがう。
「どうしたんだい葉子ちゃん、今日はご機嫌をどこかへやったの?」
 と、いったが、葉子はだまっている。
 こんな葉子の態度を見たのは今だかってないことだ。
「夢ちゃんはまだかい」
 開店早々だからホステスは揃っていないものだ。同伴で出勤して来るホステスはかなりいるものだ。
 やっと葉子は、
「夢ちゃんはお店を辞めたわよ」
「えっ」
 驚きだった。
「やはり連絡がとれていなかったのね
 葉子は声を低くして言った。
「それで夢子はどこに?」
「わからないわ
 ほかの女の子も分からないと言う。支配人も「黙ってどこへ困ったものだ」と言ってたという。
「夢ちゃんはずっとあなたを待ってたのよ」
……
「言ってたわ夢ちゃん、「待てど暮らせど待ちびと来ない」って、さみしく笑っていたでも、ほんとうは泣いていたわ」
 葉子は急に涙声になった。
「そんな夢子を見ていると、かわいそうでたまらなかったわ。どんなに忙しくたって電話くらいしてあげてもいいでしょう」
 葉子はバックからハンカチを取り出した。
「夢ちゃんは、お客さんからお食事に誘われても一切お断りしてたのよ、夢ちゃんはこの世界には向いてないわ。でもあなたが来てくれるのでなんとか、がんばっていたのよ……ほんとうよ」
……
 葉子の話は本当なのか。
「夢ちゃんはこうも言ってたわ、「あの人のようなお堅い職業の方には私なんかは似合わないかもね」って。でも本当はあなたの本心を待っていたのよ、そんな夢ちゃんの気持をわからなかったの?」
……
「男って薄情よね……あなたも
 葉子の言葉は本当のことなのか、本当に夢子は私を待っていたのか、本当に私を想っていて、淋しくなってここをやめ去っていったのか。
 二人の話に、同席していた二人の女の子は、遠慮したのか、そっとボックスから去っていった。
「葉子ちゃんなら夢子がどこに行ったかくらい見当ぐらいつくだろう」
 無理を押したが、葉子はハンカチを目にあてたまま、首を振る。
 フロアには、宵待草の曲が流れていた。切ない女心を歌った、なんて淋しい曲だろう。
 待てど暮らせど来ぬ人は宵待ち草のやるせなや……♪
 ギターのトレモロが一層私を寂しくさせた。夢子がこのフロアのどこかでリクエストをしているのではないか、そんな気がして、あたりを見まわすがここにはもう夢子はいないのか
 夢子の気持ちを分かってやれなかった自分の愚さを悔やんだ。 夢子、なんで私のような男を待っていたんだ、言ったはずだ、しっかりした男を見つけなよって。夢子がしっかりした男と一緒になり幸せになれるんだったら祝ってやろう。
 しかしどこへ行ったの夢子
「夢ちゃんを見つけたら一緒に飲みに来て、見つけられるまではここに来ないで、あたしにも顔は見せないでね」
 厳しい一言が、夢子を探してやってと言っている。
 葉子は静かに立ち上がりボックスから去っていった。
 
 津軽のシンガーソングライター物語 終わり

 最後までお読みいただきましてありがとうございます              

     津軽のシンガーソングライター物語 第二

(1) 夢子だ!
 安アパートを借りた。由らに見つかり難いようにと思ったからだ。外出するときはトイレの窓から外を確かめてから出るようにした。高輪プリンスホテルにいたあの男が気になった。もし今度どこかで会ったとしたら私を追っている者に間違えない、用心するに越したことはない。
 この頃から私は『高木』と名乗るようにした。
 寝酒にジョニ黒の栓を切ろうとしたとき、ドアがノックされた。ノックの仕方で、管理人の大川だということがわかる。
 大川斗目吉がドアが開くのを待っていた。
「すみませんこんな時間に、いいですか」 頭を二度三度下げる。
「構いませんよ、どうぞ」
 大川はどこにでもいるようなアパートの管理人特有の細かさはなかったが、気遣いはするほうで私も気に入っていた。
「どうぞ楽にしてください」
 たとえ自分の建物でも貸しているいる以上は他人のもの、大川は心得ていて膝など折っている。
 大川は話はじめた。
「単刀直入に言わしてもらいますが、あなたは高木省三さんではないようですね」
 んっ?思ってもいないことを図星をさされた。
「まぁ人はそれぞれ名前をかくす必要があったり秘密もあるものですよ。ここにも偽名の方は何人かいるみたいですよ」  
 賃貸契約のときにしか会っていない得体のしれないお互いだ、大川は恐る恐るはなし出したようだった。
 このアパートでは、高木省三と名乗って貸借契約をしていた。
「大川さんも一杯いかがですか」
 ジョニ黒と氷水を作ってテーブルに置いた。大川は晩酌を欠かさないようでいけるほうだった。
 私は大川と向かい合って座った。内心は穏やかではないのだが、敢えて落ち着き、偽名を使っている理由を説明した。
「大川さんにはいずれお話しをするが時期(とき)がくるのかなと思っていましたが、こんなに早く気づかれるとは思いませんでしたね」 
 最初のロックを一気に呷って。
「昨年、年末の宝くじが当たってしまいましてね」
「ほうぉ一千万円ですか、羨ましいですね」
「当たる前が極楽、当たって見ると地獄ですよ、職場の皆に知られましてね、どこから聞き出したのか分からない連中までが毎日毎日、飴を見つけた蟻みたいに、、追い回されているんですよ、逃亡生活ですよまったく、地獄です」
「聞いたことがありますよ」
「会社をやめなければならない羽目になり、一人ぽっちの生活をしなければならなくなり、やっては居るんですが⋯⋯。人間一人では生活できるものではありません、無視された自分と曝け出されている自分をみているようで、耐え切れるものではありません。一度味わって見ないと分からないものですよ」
 と、味わったことのないことを言ってみたが、実際にもそうなんだろうなと思った。
「そいつらから逃れるために、高木と名乗っているわけです」 
 ところが、大川の話は全く別のことだった。
「高木さん、私の話って言うのはですね。今日昼過ぎですが、二十歳くらいの女の方が尋ねてきましてね。ここの部屋を指して、「あの部屋にはどういう方が住んでおられますか」と聞くんです。私は高木さんのお名前を出す前に、「あなたはこの部屋の方とどうゆう関係ですか」と、まぁ当たり前のことを言ったのですが、女の人は、もしや山本さんて方では、と言ってましてね、郷里が同じとか近い人で知っている方ではないのかな、とか言っておりましたよ」
 えっ夢子だ!
「高木さんて方ですが、と、まぁ女性でまったく知らない方でもないようでしたので、苗字だけ教えてやりましたが、すると、あなたの特徴言っておられました。私は「まぁだいたいそうですね」と言うと。「でも名前が違うんですね」と言って帰って行きましたよ」
「その人は水商売の女に見えませんでしたか」
 夢子は水商売の女にはみえないはずだが他のホステスかと思い、一応に。
「いえ、水商売のひとには見えませんでしたねぇ、芯がしっかりしているようでした。帰るときにも丁寧にちゃんとお礼を言ってねぇ、しっかりしている娘さんのようでしたよ」
  夢子だ、夢子が来たんだ。夢子どうしてここが分かったんだ。そうか夢子は私を探していたんだ。夢子お前にはほかに幸せがなかったのかい、私なんかより 
 よし、私も明日から夢子を懸命になって探すからな、待っていてくれ、お前を探して絶対に幸せにしてやる、今度ばかりは私は違う、誰にも夢子を渡さないからな
 大川は、女の人は高木さんには大事な人だなと思った。
「実は私もその人を探しているんです、その人はお金には関係ない人です。ここにはもう二度と来ないかも知れませんが、もし来たら、本名は山本だと伝えてやってください」
 早くも大川は二杯目のグラスに口を寄せていた。
「分かりました。高木さんは~謎に包まれている、宇宙人みたいな人ですねぇ~」
 大川は早くも顔を赤らめ、二杯目のグラスを干すと、私に遠慮が融けてきたような話っぷりになってきた。
「宇宙人か、いいですね、ほんとに宇宙人になってみたいですよ。さっ勝手にやってください」
 大川にボトルを渡した。そのあと大川に。
 私をだれか外の人が訪ねて来たら、家賃のほうは時々滞っていて困っている、なんて言っておくように頼んだ。
 遠く品川駅方向には高輪プリンスホテルのビヤガーデンの提灯が微かにみえる。
 よし明日は夢子の生まれた秋田にいってみよう、夢子が秋田の実家に帰っているかもしれない。

 (2) はつかり二十一号
 上野発青森行きの十一番ホームは発車のベルが鳴り続いている。
 十一時五十六分上野発の特急はつかり二十一号へ飛び乗ったのは、昭和三十八年八月十日のことだった。
 今日はまだ混雑していない。明日の午後あたりからお盆の帰省ラッシュが始まるだろう。
 列車は青森行き。盛岡で秋田行きに乗り換えるが、秋田のどこで下車したらいいか考えてはいなかった。終点の秋田駅で降りどこかの公衆電話で『杉江』から探してみればどうにかなるだろう。杉江という苗字はそんなに多くはいないだろうから、夢子もお盆で帰っているだろう。
 指定席に腰をおろした。キヨスクで買い込んだトリスのポケット瓶を開ける。
 千住大橋を過しぎたころ、奥多摩から甲斐の方向に富士山が見えた。夏の空にくっきりと浮かんで見える。これほどきれいに見えた富士山は初めてだった。
 前の座席は五十くらいのおじさんと、三十くらいの若者、私の隣にはやはり三十前後の若者で、三人は仲間らしい。出稼ぎからお盆の帰省だろう。たくさんの土産袋を網棚に積んでいた。
 若い二人はお互い、買い込んできた四合瓶の蓋を切る。年配にも勧めてたが、年配者は断っていた。
 二人は酔いが回ってくると調子に乗ってきたらしく、私に話かけてくる。
「あんださんは、どごまでいぐすか」
 秋田だと応えると、
「ん、じゃ盛岡で乗りかえすな~?」
 憚りない若者の久々に聞くお国訛りに、高木も仲間に打ち解けた。
「んまれぁどこすか」
 そんなことを聞いてどうするの?まぁ適当に応えておこう。
「仙台で育ちました」
「は~ 今は、なんがあってあちた(秋田)に?」
 酔いが早い、しつこくなってきた。
 隣が言う。
「おいっヨシオおめぇに関係ぇな~べな、いいかげんにせぇ、この人にめえわぐだど」
 言われたヨシオという男は、カップを上げながら。
「ん~もうすわげ(申し訳)ねなっす」
 素直な気のいい若者たちだった。
 年配が言った。
「あんだ達は盆でけぇる(帰る)からいいべ、わしぁこれがら、てぇへん(大変)だんだじぁ」
 五十過ぎたくらいのおじさんは、何か苦労種を抱えているらしい。
 隣が言った。
「んだったな、スギエさんは今度の盆だけはなぁ」
 えっスギエ?、この年配の人はスギエさんと言うのか。確かにスギエと言った。この年配者は秋田出身ではないのか。
「スギエさんですか、スギエさんはどこまで行かれるんですか?」 
 秋田行きを期待して聞いて見たが。
「金木、津軽の金木す」 
 あの歌手の由郁蔵と同じだと由郁蔵を自慢げに言う。
 津軽か、秋田ではなかったか。
「由郁蔵って、あの歌手の人ですか」
 と、私は恍けた。まさか由郁蔵が出てくるとは思わなかった。
「んだ、今ぁ彼はもうがってもうがって(儲かって)てぇへんだんだじぁ」
 余り話しをしたくはないことだが、次のことを聞くには話を繋げて行かなければならない。
  儲けて儲けて  という言葉には少し気持ちが楽になる。由が儲けていれば二億円の件は薄れてくるだろうと思ったからだ。 
 少し話題を変えた。
「スギエさんの苗字は津軽にはどのくらいありますかね」
「おらほ一軒だ。隣のあちた(秋田)には三、四軒かな。あちたと言っても、隣だへんでな」
 そうか秋田と津軽は隣か。
「杉江さんの家から秋田の杉江さんのところへは遠いんですかね」
「ちしゃ(汽車)でとう(十)くらいだが、何でそなごとちぐ」
「いえ珍しい苗字ですからつい」
 秋田の三軒四軒の杉江家のどこかに夢子の生家がある。この前に座っているおじさんも夢子を知っているかも知れない、まったく関係ないはずはない。
 盛岡乗換えを変更してこのまま青森まで行くことにした。その方が夢子に早く会えそうな気がした。
 はつかり二十一号は尻内駅(現八戸駅)で停まった。辺りには人家が少なかった。八戸はもっと開けた街だという印象だったが。
 尻内駅は八戸の繁華街に無いのはちゃんとした理由があるそうだ。
 昔、駅をどこに造るかと検討したとき、「東京からヤクザが繁華街に簡単に来られないようにしたらいい」という理由だそうだ。今では笑い話になっているとか

 ここでは列車から半分以上の人が降りた。家族が、土産を待って降りてくる者たちを迎えにきている。
 尻内駅から二時間ほどして、はつかりは青森駅についた。杉江さんと二人の若者に別れを言って降りた。時計は夜九時だ、とにかく宿を探そう。

 (3)津軽に秋田の電話帳
 つるや旅館の朝食は八時に、おかみさんが部屋に運んできてくれた。
「お客さんは東京から来られたのすか?」
「はぁ」
「ここへお泊まり方は大概は北海道に渡るお客さんが多ございますてな。夕べはかなり遅いお着きでございましたね」
「すみません、あっちを昼の汽車に乗ったものですから
 遅く着いたことを謝った。
「いえいえそんなことは何でもねぁのす(何でもありませんよ)ここはそうゆうお方が多ございましてな。お荷物をお持ちになっておりませんでしたので、これからどちらの方へ行かれるんすか?」
 女将は話好きらしい。
「秋田に行くんですが」
 この女将だったら杉江について何かわかるような気がした。
「実は人を探しているんです」
「探してといって。どなたか家出でもされたんですか?」
「いえ、家出とは違いますが、えぇまぁそれと似ていますかね」
 少し照れくさそうに笑った。
 女将は私の歳恰好からしてそれらしく覚ったらしく。
「そうですか、それはたいへんなことですね、その方早く見つかってくれればいいですねぇ」
 女将は、自分には知らない男女の事情があるだろうと思ったらしく、それ以上は聞いてこなかった。
「ここから秋田まではどの列車でどのくらいかかりますかね」
 奥羽本線か津軽線などで行けるくらいにしか調べていなかった。
「秋田の駅だったら奥羽線で二時間半くらいですかね、沿岸では五能線というのがありますが、五能線は秋田駅までは行きませんよ、秋田のどこですか?」
「それがまったく宛てが無いんです、ただその人の苗字だけで探しているんです」
「まぁそれんぽっちだけで探すんですか、たいへんなことですのぉ」
 女将に、杉江という苗字だ、といった。
「秋田には、杉江という苗字はそんなにないと思いますよ。今電話帳をお持ちしますから調べてみますか?」
 ありがたい。津軽に秋田の電話帳がある、これにはちょっと気がつかなかったことである。
「ちょっとお待ちください」
 電話帳には、杉江が四軒載っていた。杉江トミエ、杉江直次。杉江トミエだ!父は夢子が子供の頃亡くなっていると夢子が言っていた。電話帳も母の名義になっているはずだ。他の杉江直次吉松等は夢子にも少しは関係があるかもしれない。母の名は聞いたことはなかったが、杉江トミエにほぼ間違えはない。だが、電話がない家庭も考えられるし、 集合電話ということもある。
 
 集合電話= 村の数軒の中の一カ所に電話がおいてあり、その家の人は、村の誰かの家に電話がかかってくれば、歩いて知らせに行き「誰だれさんから電話ですよ」と、告いでくれる。携帯電話の現在では考えられないほど時間と料金がかかったものだった。

 番地を控えタクシーを使うことにした。宿泊代六百円に、千円を置き、あとはお礼だと言って、つるや旅館を出た。もうタクシーが待っていた。女将も出てきて見送ってくれた。
「えっ八橋ですか?秋田の」
 運転手は驚いている。
「え~ぇ八橋までは五千円はかかりますよ」
 それでもいいというと、運転手は、
「ちょっと会社に連絡しておきますので」
 運転手は旅館から公衆電話を借り、こっちのほうをチラチラ見ながら会社に電話を掛けている。遠乗りの客は会社の許可が要るらしい。遠乗りの客の中には乗り逃げや強盗を乗せることもあるからだそうだ。
 私は信用してもらうため途中タクシー会社に寄り、前金で五千円を払い安心させた。
 番地と地図を合わせた運転手は、秋田八橋川居町へコンテッサのアクセルを踏んだ。国道一号線を快調に飛ばした。両フェンダーから入ってくる風が気持ちよかった。
「八橋は詳しいかね」
 運転手に尋ねた。
「おれは大曲と言うところで育ったんですが、んまれは(生まれは)八橋の隣の寺内というところです。八橋には友達が何人かいるだけで、詳しいとまでは」
「今、私が行きたいところは、杉江さんという人のところなんだが、その杉江という人を誰か知らないかね」
「杉江さんすか~。勝平橋のところに一軒あります、そこくらいかな~もっと在るようですが」
「じぁ先ずそこへ行ってくれ」
 胸が弾んだ。夢子がそこで私を待っているような、叶わぬことと思いながらも思ってしまう。
「でも、もう八、九年も行ってないですから、今は在るかどうか」
  なに言ってんだ。期待を裏切るようなことは言ってくれるな、夢子がそこに居るから

 (4) 八橋の駐在所員
 二時間ほどで八橋に着いた。八橋駐在所脇に車を停めた。
「ちょっと息入れさせてもらいます」 
 運転士は車外に出ると腕を広げ大きな欠伸をした。いくら若い者でも二時間も続けて運転すればさすがに疲れるだろう。
 交番からおまわりが出てきて運転手に声をかける。
「おぉ、おめぇ?政夫じゃねぇか桜庭の」
 運転手はびっくりしたような顔で振り返る。
「えっおぉ山根~か、お~お~お~、おめぇ警察官になったんだったなぁ」
「おめぁは今タクシーやってんだ~か、弘前でぇ?」
「ん、今青森だ」
 二人は話が弾んでる。
「まぁながさ(中に)入れよ、茶っこいれるがら。青森からここまでお客さん乗せでがぁ」
 駐在所員は私の方をみている。
「でぇ何の用事でだべ?」
「おらぁ運転だけで詳しく知るわげねぇが、人を探してるんだそうだ」
「ほう誰だべその人」
 交番所員は暇なものだからお節介してくる。
「杉江さんの誰かを探してるみてぇだよ、そうだ、おめぇ詳しがべ」
「杉江が~杉江と言う人は今は直次さんと直治さんだけで、もう動けねぇ人だ。もう一人の杉江さんはなぁ、気の毒に、こないだなぁ」
と言って咽輪をつくった。
「土地を取られた上に、借金まで作らされて。ちゃ、どうにもこうにもならねぇだったべな」
「首吊りが~、じぁ俺の妹と同級生だった子がいだはずだ、その家はいまどうなってるべ」
「だから、その娘の家を取られたんだよ。その上娘は、ろぐでもねぇ奴らに追い回されているらしいよ、借金はお前の体で払ってもらうってねぇ」
「え~ぇ?そのろぐでもねぇ連中って?」
 駐在所員はおしゃべりが好きなようだった。勝手に話が弾んでいる。
「大前田虎五郎って、ちいだごど(聞いたこと)あるべぇ青森でも。ここでは建設屋と不動産屋をやってる、その手下どもよ。川尻、山王、下八橋の一帯は今は大前田が仕切ってるのさ。まぁながさ〈中へ)入れ、茶っこ入れっから。よがったらお客さんも入れろ」
 長話をしていた運転手は、高木に車から降りてくるように手招きをする。
「おまわりは、おれの友達だ同級生だ、まぁ中さ入ってちょっと話を聞いてみればいい」
「杉江という人を探しているって~?」
 所員は茶を入れながら、態度が大きく無遠慮な言い方をしてくる。
「杉江の誰さんだねその人の名は」
 私は、『那々子』だと言った。
「あんだは、大前田さんを知っとるが~?」
 明らかに大前田という人を警戒している口調だ。
「大前田?初めて聞く名前ですが、その人と那々子さんとは、、」
 所員は大前田と関係ない人物だと確かめると。
「んっ、だが俺がら話をするわげにもいがねぇ公務員だからな。まっ茶っこでも飲みなせぇ。今ちょうどいい、津軽から杉江さんのことをもっと詳しく知っている人が来ているがらその人から聞いてみろ、待ってろ」
 お茶を入れ終わると所員は交番の裏の方に小走りで出て行った。

 (5) 杉江留蔵
 間もなく現れたのは、思わず、あっと声が出てしまった。
「あれぇ きんのう(昨日)のちしゃ(汽車)の」
 杉江さんもびっくりしたようだ。所員もびっくりしていた。
 なんと、はつかり二十一号の、あの杉江さんだった。
「何でここへ、いず(いつ)来たんすか?」
 簡単に訳を話した。
「ここで話すのもなんだがら、よがったら、わぁ(私)の家でどうすか」
 所員も話を聞きたいようだったが、お礼を言って交番を出た。運転手も一緒に杉江留蔵の家へお邪魔し話をきくことにした。
 この秋田の杉江家は、留蔵の奥さんの実家になるが、今生きているのは奥さんだけで、今は留蔵の持家になっていた。留蔵は、昨夜青森からここに来たと話してくれた。
 留蔵の奥さんはお茶を運んできたが、下を向いたままお茶を置き奥へ引っ込んだ。列車の中で「わぁこれがら大変だす」と言った留蔵の言葉を思い出し、どんな事情か分からないが奥さんの心情が分かるような気がした。

 留蔵の話はこうだった。
 大前田虎五郎。彼は建築業から始めた。たった三年のうちに、百人を抱える大建設業にのし上がった。建築業時代、初めのうちは仕事っぷりもよく評判もよかったが、入札制度に加わるようになってから急に利益をあげるようになった。もちろんそれは常套なやり方ではなかった。ビルの工事をやるようになってからは信じられないほどの利益をあげた。建物の部品を実際に使う三倍以上の注文をし、使用したように見せかけ、裏で納品元に半額で下ろす。これが面白いように上手くいった。その利益で毎晩のように料亭に足を運び接待客を切らさない風だった。大前田は留まるとこ知らず、今度は不動産を手掛けるようになり、土地の買収に力を入れた、ここと思う土地を強引に買う。それを市の建物用地に売りつける。場所によっては買収したときの二十倍以上に売りつけることもあった。隣町の津軽杉江留蔵の土地も手に掛かり、今月末までに返事しろと言われていた。杉江トミエの土地も同じだった。トミエは大前田のやり方は不当だと言って、裁判所に訴えを起こした。だがトミエには裁判費用がなく、その上裁判費用の借金を背負うことになり、トミエは首を吊った。裁判に出るとなると金がなければ、はじめから負けと同じ。金が無いのを知っていて大前田は「裁判だ、裁判だ」と言うのだった。

 大前田という人物はまだよく分からないが、相当な悪党には間違えないようだ。留蔵の話をきいているだけで、無性に腹が立って来た。
 さらに留蔵は「トミエの借金は誰が払うんだ」というごどになった。大前田の息子は、トミエの娘の那々子に惚れでだ。那々子を嫁にもらえれば借金は無くしてやる、と言ってトミエに迫ったらしいが。那々子も、今東京のどこにいるのだが、わがらねぇ、たとえここに戻って来てもあの息子にだけはいかながべ(嫁がない)。大前田の義昭は、わげぇもの(若者)を東京さやって「那々子を見つけて連れて来(こ)っ」てことになったそうだが
 そうか、夢子は大前田の連中から逃げて私のところへ来たんだ。そんな窮地にいる那々子を一刻でも早く救い出したい。
 鬼の大前田親子、今に見てろ、夢子の母を死に追い込んだことも絶対に許せない。その上夢子の自由まで奪おうとしている。
 そうはさせない。
 「留蔵さん心配しないで待っていてください」
 
 秋田駅改札口の前には、『川居総合会館竣工式 九月九日大前田建設KK』 の大きな縦看板を見て、上野行きの列車に乗りこんだ。

 (6) 夢子と再会
 品川に戻って一週間が過ぎた。
 管理人の大川が鉄の階段を音を立てて駆け上がってきた。
「高木さん、あの女の人が見えていますよ」
「えっ夢子がきてる?本当ですか」
  会いたかった那々子 
 階段を降りると、白いワンピース姿の那々子がそこに居た。
「那々子ッ」
 駆け寄り、那々子を力いっぱい抱きしめた。
「那々子もう離さないよ、もう安心だ」
 黒髪いつもの那々子の香りだ
「会いたかったよ、今までどこにどうしていたんだ、那々子を探していたんだ待ってたんだよ」
 那々子は言葉も出せないくらい力強く抱き付いて来た。
 大川も、よかったよかったと言っている。
 そのときだった。少し離れたところに止まっていたブルーバードから、二人の男が降りてきた。土建屋風な恰好をしている。
「おいっ、その女をこっちさ寄こせ、手っこ放して」
 やっぱり現れたか、夢子を追っていたらしい。
「大前田のところの者だな」
「だまって女をこっちへよこせばいいんだ、怪我しねぇうちによっ」
 一人は鉄パイプなんかを振っている。
 那々子を後ろへ下げ、大川にあずけた。
「簡単には渡すわけには行かない、おとなしく帰って大前田の息子に伝えろ、那々子は俺の女だ諦めろとな」
「ずいぶんな口をきぐんだな、怪我ぁしてぇのがぁ、おいっ怪我しねぇうちにおとなしく女をこっちさよこせ」
「おとなしくしてもらいたいのはそっちのほうだ」
「何だと、どうしても怪我してぇのか野郎ッ」
 鉄パイプを振りかざしてかかって来た。
 大川は那々子を後ろに引いた。一歩下がって唸るパイプを避けた。パイプではなく鉄棒だ。鉄棒は反動に時間がかかる。鉄棒は反対方向から呻って飛んでくる、これを交わした瞬間、鉄拳をカウンターに入れる。男の前歯が折れる音がした。
 だが、迂闊だった。後頭部に衝撃を受けた。相手はもう一人後ろにいたのだ。

 気がついたら病院のベットにいた。時計は午前十時。十八時間ほど眠っていたことになる。
「気が付きましたか高木さん」
 ベットの脇に大川がいた。
 大川も彼等に抵抗したらしく、口元に、マーキロなど塗っている。
「那々子は?」
「すみません彼等に連れていかれました」
 大川の怪我がこれだけで済んだのは幸いだった。
 医者と看護婦が入ってきた。
 包帯を外した医者は。
「運がいいほうだよあんたは、これでよく済んだものだ、後一センチもズレたら死んでいたな」
 医者はそう言って傷口を見ていたが、後の処置を看護婦に言いつけて出て行った。
「あと一日は安静が必要ですよ。それからあと三十分くらいで警察の方が来ますので無理をなさらない程度に事情をお話しください」
 看護婦は処置を終わると、そう言って部屋から出て行った。
 頭はまだ痛みがある。だがこうしてはいられない。
 大川の手引きで、病院から抜け出した。

 (7) 再び秋田へ
 品川駅前でレンタカーを借りた。
 プリンススカイラインは加速がいい、信号ではタイヤを鳴らして発進し、コーナーでは尻を振って国道四号線を秋田に向かった。
 郡山と盛岡で燃料補給した。所々しか舗装されていない四号線。盛岡から国道一号線に入る。昼前に品川を出発したが、一号線に入るとライトが必要になった。
 秋田に入ると曲線道路が多い。日本カモシカが、スカイラインの前を青く光る目でゆうゆうと横断する。好奇心の旺盛なタヌキやウサギなどは車のライトをみて、道路脇に出てきて車を見送る習慣があるらしい。
 途中少し頭痛はするが包帯をとり、抗生物質を口に放り込んだ、包帯よりは楽だった。
 この先は川尻の交差点、それを右折だ。直進すると十三号線で那々子の家がある八橋だ。だが八橋には那々子はもういないだろう。
 秋田駅近くの千秋中町の公園の中に車を入れエンジンを停めた。品川から休みなく七百キロ走行したことになる。クラッチディスクの焼ける臭いがする。
 この近くに大前田義昭の家があることはこの前確かめておいた。もう夜中だ、明後日竣工式の行われる総合会館の周りを十分ほどまわった。レンタカーに戻り、リクライニングを倒すと急に睡魔に襲われた。
 
 目が覚めたら夕方の四時だった。他人より倍の時間睡眠をとる。それだけに、三日連続徹夜も平気な体になっていた。
 明日竣工式が行われる総合会館の方に行って見ることにした。
 竣工式を明日に控えた総合会館では、床を磨く、紅白の幕張、脚立で垂れ看板などを準備している。
 トラックが入ってきた。スチール椅子が積んである。入り口に着けたトラックから降りた運転手、その運転手に見覚えがあった。
 あっ、あいつは、那々子を奪って行った中の一人だ、あのときのリーダー格の男だ。
「おいっ早く降ろせよ、ぼやぼやしてんじゃねぇぞ」
 威勢のいい男だ。
「降ろしたら、車は裏へどかすとけ)」
 よし、先ずあいつからお礼をさせてもらう。
 奴はどっかで休憩でもするらしい、後をつけた。
 総合会館の裏には大きな駐車場がある。駐車場の隣に大前田建設の仮事務所があった。男は事務所に入って休むらしい。男は近くに誰もいないことを確かめ、事務所の入り口で放尿なんかしている。それから事務所に入った。外から見ただけでも事務所は空の状態だと分かる、ブラインドも外されていた。この仮事務所は、明日の式典のセレモニーで爆破解体されることになっている。
「意気だねぇ大前田社長らしい」と、関係者は口ぐちに言っていた。
「明日でこの事務所も終わりか~」
 男は独り言を言ってから、どっかりと腰を下ろした。胸ポケットから光(たばこの銘柄)を取り出し、火を点けようとしたときである。ライターを持った手からライターが弾じき飛ばされた。
「おっ、おめぇは、、、いっ生きていたのかッ」
 誘導灯を持った高木を見た男は、タバコを放り投げ、椅子を蹴飛ばし跳ねるように下がった。
「一服している場合じゃない、那々子は何処だ、どこにいる」
「おめぇはいつの間に」
「幽霊じゃないことを今見せてやる」
 倒れている椅子を蹴飛ばして男に近づく。男は一人では敵わないと思ったらしく、大声で仲間をよんだ。
 たちまちのうちに、五、六人の男が事務所に入って来た。
「賢い奴と利口な奴はどいてろ、無駄な怪我はするものじゃない、こいつだけに用がある」
 尻込みしている男の鼻に誘導灯を押しつけた。 
 しかし男は躓いたふりをしてそこを逃げ、応援の男たちの後ろへ回り、
「やれ~やっちまえやっちまえ」
 臆病の家康にそっくりだな 
 男たちは互い違いに向かってきた。
 だが、だてにボクシングを習った高木ではない、相手がほしい時もある。たちまち二人の男うずくまって呻く。

 (8) 大前田虎五郎
 その騒ぎを聞きつけて、入ってきたのが大前田虎五郎だった。悪党の親分らしく貫禄はじゅうぶんにある。
 呻き転げ回っている連中を見た大前田は、
「どちらのお方か存じませんが、うちの若い者たちが、たいへん失礼をしたようで、もう勘弁してやってくれませんか」
「あんたが大前田か」
「失礼した。何しろ若い者は血の気が多くてすぐに騒ぎを起こしてほんとに困る。ここではなんですから
 大前田は転がっている男たちに命じて、近くのホテルに高木を案内をするように言って出て行った。そこで話をしようというのだ。

 しかし、ホテルのロビーでは、那々子の話を持ち出すと、大前田はことごとく話を剥ぐらかしてしまう。なかなかのたぬきだった。 終いには。
「そのことは明日の式典が終わってからと言うことで。わしはこれから大事な用があるのでこれで、特別な部屋を用意してありますから今晩はごゆっくりと
 と言って帰ってしまった。
 大前田虎五郎とは話にならないということがわかった。
 息子の義昭は明日の式典で那々子との婚約発表をするのではないかという噂も聞いていた。
 今夜中に必ず那々子を連れ出す

 (9) 大前田義昭
 ホテルから留蔵に電話をした。留蔵に救い出した那々子を頼むためだ。
 軽く変装をし、大前田義昭のところに乗りこむことにした。 
 大前田義昭の屋敷の門には『猛犬注意』などと書かれている。
 チャイムを押した。
「誰だ今頃ッ」
 インターホンから聞こえてくる義昭の声は親父にそっくりだ。
「大前田社長様から、今晩中にご子息様のフィアンセの方のお洋服の寸法をとるようにと仰せられまして、お伺いしましたんですが」
「親父が?、そうか親父も、ち(気)が利くなぁ、いま行ぐ、ちょっと待ってろ」
 門が自動で開いた。入ってもいいということだろう。
 三十くらいの恰幅のいい男が玄関に現れた。何処からどうみても女に好かれるようなタイプではない。
 応接室に案内された。応接室の横のテラスに人影が見える。
 那々子だ!
 応接室には二人の男が立っている、那々子の監視役だろう。
「何処からちた(来た)」
「盛岡は肴町の、ブライダル「やま科」でございます、本社は京都にありまして」
 思いつくままいい加減に言った。
「盛岡にそんな店があったかな~。親父がたのんだのか?」
「つい最近東北のほうに。これからもやま科よろしくお願い申し上げます」
 建設業の息子とあって建物には詳しい、だが最近こちらににごまかされた。
「ご結婚がもうすぐとのことで、おめでとうございます」
 これには義昭も気をよくしたらしく。
「んん、そうかそうか、んじぁ早速お願いしようか」
 すぐに騙されるところは、単純で親父ほど悪党ではないらしい。
「それでは早速……どちらにフィアンセのお方は」
「あそこにいる。今日は機嫌があんまりよくないようでな、よろしくたのむよ」
 と、テラスの方を指差す。

 (10) 夢子を救い出す
 「わかりましたでは」
 テラスの境戸を静かに開ける。那々子だった。
 那々子は俯いたままいた。
 度無しの眼鏡を外し那々子を覗いた。
 那々子は私の顔を見たとき思わず声を出しそうになった。
 それを指で制し、俺だ安心しろ、目でそう言った。
 
 五分ほどして、寸法取りは終了したことを義昭に告げた。
「ただいま花嫁さんに、私どもの品物がたいへんお気に召していただき、早目に式をあげたいようなことを仰っておられます。折角ですからどうでしょう、これからドレスをお選びいただき、お写真に収めておかれては」
「えっ、那々子がそう言ってるか。そがそが、決心したんだなそうが~」
 義昭は急に落ち着きを失っていた。
「お近くに写真屋さんはありますかね」
「んん?、あるある、駅(秋田駅)前にあるよ。おいっお前たち中居に案内しろ」
 立っている二人に言いつけた。

 こうして那々子を簡単に義昭の屋敷から連れ出すことができた。
 秋田駅前の『コロタイプ中居』まで監視役の男二人が、私と那々子を送ってきた。
 後はこの男たちを追っ払えばいい
 その二人には、コロタイプ中居の前で、
「一時間ほどしたら迎えに来てください。それまでは、その辺でお茶でも」
 と言って、千円づつ渡した。
「こりゃどうも」
 二人はうれしそうにそれを受け取ると、車で帰って行った。
 那々子を無事救い出した。レンタカーの中で思いっきり抱きしめた。
「もう安心だ那々子、心配かけたな。明日は那々子のお母さんたちの弔いをしてやるからな」
 杉江留蔵、笹政三、羽田権三郎のことも話した。ラタンの葉子のことも話した。訳があって今は「高木」を名のっていること、住所を転々と替えたこともそれぞれに理由をつけて話した。
 だが、由郁蔵のことは話さなかった、由郁蔵とのことは永遠に秘密なのだ。秘密は自分しか守れないものである。

 間もなく、あのときのタクシー運転手と杉江留蔵夫婦が着いた。杉江夫婦に那々子を頼み、大前田が用意してくれたホテルに戻った。

 (11) 闇に光るサイレンサー
 二十三時を回ったころだった。
 合鍵によってドアが音もなく開いた。
 仄かに枕もとの灯りが毛布の膨らみを照らしてる。
「ぐっすり眠ってるぜ」
 二人の男は、音を立てずにベットに近づく。内懐からサイレンサーを抜いた。二人は息を合わせ引き金を引いた。
 『ボスッボスッ、ボスッボスッ』
 サイレンサーが闇に青白く光って毛布を焦がした。
「よしやったぜ、早く出ろッ」
 高くもない低くもない声が闇の中で言っている。
 男たちは、また音をたてずにドアを開け出て行った。
 高木は、こんなことになるだろうと、テラスの片隅で今の様子をみていた。
 薬莢香のするベットにもどりハイライトに火を点けた。
「やっぱり大前田は大悪党だ、悪党のやりそうなことだ」

「あほな奴だ高木って男は、こんなところまで女を追ってきて、このわしに盾つきやがって。いいな死体は明日の式典で散らしてしまえ、事務所の床下に今夜中に運んでおけ」
 高木を始末したという知らせに、大前田虎五郎は満足げにウイスキーを喉に放り込みベットに就いた。

 夜中に三人の男が、死体を運び出そうと部屋に入ってきたが、高木は男たちに説教したあと。
「これは一年分の生活費だ。東京にでも行って、もっと増なところで働いたほうがいい」
 と言って、五十万円づつ呉れて帰したのだった。

 (12) 由郁蔵
 準備が整い用意された式典会場は、ほぼ満員であった。用意した椅子は早い者勝ちで、立見席でショーを観るほうが多かった。その中には杉江留蔵夫婦の姿もあった。
 式典に先立ち、由郁蔵と地元出身歌手、加奈来薫のショーが行われることになっている。
 由郁蔵は、昨日から秋田の湯路温泉ホテルに宿泊し、ゴルフなどを楽しんでいた。キャディを努めているのは、あの高輪プリンスホテルのときの、あの黒縁メガネの男だった。
 男は、寺田興信所の寺田定雄の弟だった。兄弟で興信所やっていたが、由が寺田興信所に出入りするようになったのがきっかけで、由郁蔵のマネージャーをするようになった。そんな関係で、ラタンのホステス、夢子を付けていたところ高木(私)が浮かんだ。
 だが、所詮兄の定雄と違い、仕事は熱心なほうではなかった、ろくに調査もしないで。
「やはりあの男は死んでいますね、その後も彼かな、と思うアパートを探したんですが、その人はアパートの部屋代もときどき滞ることがあったらしく生活には余裕はない人でした。彼ではないようでした、やはり自殺したのがほんとうらしいですね」
 と、由郁蔵には簡単な報告で済ましていた。
 兄の定雄も私から十分過ぎるくらいの報酬を貰ったわけで、これからこの件が曲がったり反れたりしても困るので、憲雄の報告で済ませたかった。
 由は、寺田憲雄を付き人として採用したのが、高木の調査の終りとなり、高木には幸いしたことだった。
 由はこれで高木が本当に死んでいると思っている。
「そうが、かわいそうな話だよな、お金に困っていたんだば、俺のところに来ればいいのに、何とかしてやれたのにな」
 と言っている由に。
「ご愁傷様です」
 と、寺田憲雄は、由の言っていることがよく分からないながらも、由郁蔵にお悔やみの言葉を言った。
「しかし、省ちゃんは作曲センスは抜群だったよな、『雪の國』すばらしかったよなぁ」
 つい口が滑ってしまった由。
「えっそれはどういう意味ですかぁ、あの曲は?」
 寺田の言葉に慌てた由は。
「いやいや、もしも、もしもあの曲のようなものでも作曲でもしていたらの話。なんてね空想空想、ははは関係ないな、まえねぇまいねぇははは」
 と言って寺田の肩をポンと叩き、誤魔化すのが精一杯だった。
 由郁蔵は二億円はあきらめた、どうしようもない。それより『雪の國』が誰からも横からも疑う者が居なくなったことで、すっきりした気分になった。事務所からの借金も、あと一年ほどで返せるメドがついていた。

 ゴルフ焼けした脂性の由郁蔵は、満員となった会場に立った。
「こんにちは~由郁蔵でございます。本日は私がいつもお世話になって居ります大前田社長さんが、またまたこんなすばらしい総合会館をお建てなりましてね、記念すべきこのよき日に、私たちを呼んでいただいたことは真に光栄でございます。ご当地出身の加奈来薫ちゃんと二人で言っていました、南亀町にこんな立派な総合会館をお建てになると思い発ったのは、大前田社長さんの先見の確かな目、ではないかとね、驚いているわけでございます。皆様どうかこの総合会館を大いにご利用いただちたいと思います。んでは、ちょうは私たちは歌をうたいにちましたので、ちいてください」
 まだかなり訛りのある由郁蔵だった。
 二人は数曲歌い、終わりは『雪の國』で閉めた。


 (13) 悪の終焉
 高木はイベントの行われる式典会場が見渡せるビルの一室に双眼鏡をセットした。隣には、那々子が寄り添っている。
 式典の開始時刻が近づいているのが関係者のあわただしい動きで分かる。
 会場には続々と関係者や招待客が入ってきた。招待客は皆、大前田の前を通り挨拶をしたり握手をしてから席に着く。
 式典が始まった。
 司会者は主催者の大前田虎五郎を(呼)読んだ。続いて市長、議員らの紹介と挨拶があった。乾杯前に郷土芸能の『梔子(しし)踊り』が子どもたちによって演された。

「大前田様、仮事務所にお電話が入っております」
 高木が送り込んだボ-イが大前田に耳打ちをした。
「誰だこんなときに」
 大前田はボーイを睨んでいる。
「大事なご用件とかで
 大前田は隣に、
「ちょっと失礼する」
 と言って立った。ブツブツ言いながら駐車場を経て仮事務所に入っていくのを高木の双眼鏡が見ている。この事務所に残っているのは、仮設電話、用の終わった古机と、四方の柱に四本づつの、計十六本のダイナマイトと、先ほど運び込まれた祝いの酒樽が置かれているだけだった。
 大前田は受話器をとった。
「大前田か」
 大前田虎五郎にこんな口のきき方をする電話はめったにないことだ。
「誰だお前はッ」
 大前田はそれ応の返事をする。
「よく聞け大前田。人らしからぬお前に、今日は懺悔をしてもらおうと思ってな」
何を言っているのかさっぱり訳が分からん、誰だお前は、電話は切るぞ」
「まぁまぁ、お前にこれから面白いことをやってもらう」
「誰か知らんが掛け間違えらしいな、わしは今忙しい切るぞ」
「よく聞けッ大前田、そこの床から出て来てお前に言っているんだ」
 受話器の声が昂ぶった。
……
「いいか、お前のせいで死んでいった杉江トミエや笹政三らに、今そこで償いをしてもらう」
「ん~んお前は~?」
「やっと気がついたか」
「高木ッ貴様生きてたのかッ」
「やっぱり俺まで殺そうと思ったのか、相当な鬼だなお前は」
「高木このままで済むと思うな、わしに逆らう奴は長生きはしねぇぞ、お経でもあげておくんだな」
「ふっふっ、本性が出たな大前田、お経はそっちで上げておけ」
「何いッ」
「お前の前に祝い樽があるだろう、誰からだと思う、俺からの贈り物だ。川居河原ではそろそろ祝い花火が上がる、お前もそのときがこの世とおさらばだ」
……?」
「その樽には、酒なんか入っちゃいない。中身は五十キロのダイナマイトだ。お前の現場からいただいて来た物だ」
「何ッ
「おっと動くなよッ、動くと定刻前にお前主催の花火が上がることになるぞ、スイッチはここにある」
「ちくしょう高木ッ、お前今どこにいる」
 事務所の窓から外をキョロキョロ見ている。
「どこでもいい。袖机を開けろ」 
 大前田は徐に袖机を開ける。書きものが入っていた。
「マイクも入っている。それを持って大きな声でそれを読め、マイクは会場の拡声器に繋がっている」
……
「さぁ読め、読まなきゃ定刻前に花火を観ることになるぞ」
「なにを言いやがる高木、何でわしがこれを読まなきゃならねぇ」
「つべこべ言わず読むんだ、俺は気が短いほうだと他人(ひと)から言われる。読まなきゃスイッチを押す」
「お~っ分かった」
 大前田はしぶしぶマイクに向かい読み始めた。
皆さん大前田虎五郎です
「もっと大きな声でだッ聞こえん」
 容赦なく受話器は怒鳴る。
 会場は静かになった。
皆さん、私は数年に渡って皆さんの農地宅地を安く提供していただき大きな利益を得ることができました。今日のこの記念すべき日に皆さんにその利益を還元することを今、ここでお約束いたします」
 会場はざわめいている。
 大前田は屈辱極まりない文に、途中読むことを躊躇ったが、高木の催促に読み続けた。
「次の十三名、土地の買い上げ坪数によりその金額を還元することをこの場で誓うものであります」
 会場は、ざわつきが消えていた。どこからとなく、ちらほら拍手が起きている。杉江留蔵夫婦も耳を澄ましていた。
由浜定郎、百九十二万円。同じく定身には、百七十五万円を
 会場ではどよめきから拍手が起こっている。
「佐々時朗には、百十四万円。戸矢部道政には、百四十四万円
 会場はシ~ンとなった。
「杉江留蔵には、百九十三万円」
 杉江留蔵夫婦は信じられない金額に戸惑うばかりだった。
「高木さんだ……ありがとう、高木さん」
 涙ぐんで夫婦で手を取り合っている。
 大前田は続けた。
「故、杉江トミエ、百七十万円と遺族にお悔み料とし二十万円。なお今控訴中の件は取下げることとする、以上」
 会場からは拍手から万歳まで起こった。
 何とか十三名を読み終えた大前田は。
「高木、ただでは済まんぞッ」
 マイクで机を叩いた、頭から湯気がのぼっている。
「中々の朗読だったよ大前田。あの世に逝く者は、逝く前には誰もが善人になり、懺悔することが大事だ」
 冷淡にいう。
 大前田は悔しさに震えている。
「おぅ、そろそろカウントダウンだな、花火が上がる、ここはいい眺めだぞ大前田、たとえ後でお前の肉が発見されても、お前の手下どもから、俺の肉だと言うだろうよ」
……
「お前は書き物を残して外国に飛ぶことになっている」
「高木ッまてッ約束は果したろ」
「十五 ・ 十四」
「まて、話をしよう、なっ、なっ」
「・ 十 ・ 九 ・ 八」
 カウントは止まらない。
「高木、俺が悪かった、許してくれ~ッ、お前の思うように何でも
「五 ・ 四 ・ 三 ・」
 大前田の体は硬直し、手から受話器が落ちた。 

 川居河原には大きな昼花火が打ち上げられた。ほぼ同時に、大前田建設仮事務所も爆破解体された。
 会場では、大前田の席に大前田虎五郎が居ないのを気にする者はいなかった。皆、立ちあっがって拍手万歳をした

 14) 烏兎怱怱(うとそうそう)  
 ―― 
 
それから五十余年が過ぎる  ――
 縁側に座って、ぼんやりと庭の花、待宵草を眺めている省三じいさん。三年前からボケが始まっていた。
 花は、省三じいさんの若い頃の恋人、夢子を彷彿させる月見草である。
 那々子ばあさんはお茶を煎れている。茶の間では、観るでもないテレビの画面が勝手に動いている。
「なぁ、ばあさん、むかし力道山はほんとに強かったよな~」
 テレビにそれらしい画面が映っているわけでもないが
「朝から何回その話ばっかり~、同じ言をさっきも言ったよ。あっしは、あんな野蛮なプロレスなんかより、歌っこ好きだったねぇ、アントニオ古賀さんの宵待草、なんかよがったねぇ」
 ばあさんはまだしっかりしているようだ。
「歌っこもいいなぁ……、力道山も強かった~」
 もう話も噛み合わない。
 ふっと、省三じいさん。
「あぁ昔、津軽から東京に行った、うだうだい(歌手)がいたな」 
 じいさんは忘れっぽくはなっているが、由郁蔵の記憶はまだ少しだけあるらしい。
「あぁ由郁蔵かな
「そうだったかな。まだ歌ってんだか~その男は
 じいさんには昔の記憶がうっすらとよみがえるのだった。
 
那々子ばあさんはお茶を持ってきた。
はい、お茶はいりましたよ」
「んん、ありがと」
「もう、あの歌手はとっくに、とっくに、そろそろ七回忌くるべぇよ」
「ん、そがぁ、」
 省三じいさんは頷いていたが、
「あ~ぁ、おらぁその男にどっかで会ったち(気)するなぁ、どこだっけぇな」
 那々子ばあさんは、またじいさんのボケがひどくなってきたとばかり思っている。じいさんと由郁蔵との関わりは全く知らないからである。
「じいさん、夢っこでもみて言ってんのか~」

 ふっと、ばあさん。
「夢、じいさん、夢っこで、何か思い出せねぇか、夢っこ夢っこ」
 ばあさんは昔、夢子という名前で、横浜の伊勢佐木町、キャバレー『ラタン』でホステスをやっていたことや、そこで高木と言っていた、今のおじいさんと出会ったことは覚えている。五十年も前のことになる。
「んっ、夢っこ? ゆうべみた夢っこ~、なんだっけぇな~力道山しかみてねぇな~」
 すっかり呆けている

ばあさんは、
「くすっ」と笑い、熱い茶を啜った。
 
 月見草 月見草は待宵草と言うらしい。宵待草と竹久夢二が表現したと言われてる