笑ってください

 考古学者と玉蜀黍 

国宝「合掌土偶」
八戸是川縄文館

わたしは某町の新聞記者の、唐諸越君子と申します。痩せていなくて、鼻は尖っていなくて。よく水餃子を食べるので、中国の方ですか?と言われますが、歴とした日本人です。はじめてお会いする方に名刺を差し上げるときには「とうもろこしきみこ」です、と言わないと中国人に間違われます。冗談にも「ニイハオ」なんて言ったものなら、100%中国人に間違えられます。

 今日は『歴史は嘘っぽい」』を書いているアントニオ省三さん、考古学にもうるさいお方だとお聞きしましたので、考古学について取材をしてみることにしました。
 アントニオさんはお庭でギターを弾いておられました。中々のものでした。わたし好みの曲ではなかったのですが、一応ご機嫌伺いにと、
「わ〜すばらしいわ、今弾いている曲はなんというんですか〜?」
 軽い気持ちでお世辞っぽくうかがったのですが、アントニオさんは得意そうに。
「これはねぇ、美空ひばりさんのぉ「青春の恋人たち」っていう曲、いいでしょうぉ いいでしょう?わたしはひばりさんのね〜」
 って、奥のほうに走って行って楽譜など持ちだしてきて、
「これやってるんだがね」
 と言って、三十分ほど美空ひばりさんのお話につき合わされました。『美空ひばり全集』と『古賀政男全集』の楽譜。私はべ〜つに聞きたいわけではありませんでしたが。

 その後お家の中でお話を聞くことにしました。
『考古学』について聞いてみました。
「んん、それはね学者さんたちは、自分の生活のためっ」 
 何て味気ない回答なんでしょうほんとに、そして。
「趣味でやってんじゃないの、古代のものを発見したといってどうなるの、世間に名を売りスペリオリティコンプレッサーを感じてるんだ」
 なんか意味の分からない言葉がでてきましたが、どうやら、優越的コンプレックス、つまり『シュペリオリティーコンプレックス』と、言いたかったようです。何か歴史と言うものに曰(いわく)のありそうなおっしゃりかたでした。そしてやっと本気に話す気になっていただけたようです。

「今ねぇ、連邦警察が動いていますよ、事業仕分けでねッ」
 これは蓮舫さんを言っていると思います。駄洒落もおっしゃるんですねこの歳して。
「考古学研究会にも及ぶんじゃないかな、価値観からみれば、それだけお金をかけてやるようなものじゃないでしょう。1万年前に作られた土器が発見された?その当時人類が住んでいたから出てくるのは当ったり前でしょう?1億年前の恐竜の骨が発見された?当時そのような動物が住んで居たから骨が出てくるのは当ったり前でしょう。それより、何故出土されないか、のほうを研究するべきだ、ほにほに、なんてこと無い。発見?発見したからどうなるの?先祖が残したものを拾っただけのことですよ。拾ったものは警察に届けることになっているでしょう、それをしていない」
 ときどき、このように話が逸れるんですよアントニオさんは。
 さらに、
「立派な館を造ってねぇ、先祖の置いていった物や中には忘れ物もあるかもしれない、そんな物を展示している。また、それを見に来る人も来る人だな、余程暇な人たちだと思いますなぁ、何の役にたっていますかぁ、そんなことにお金をかけてどうするんですかぁ」

 ― これは内緒なんですが、アントニオさんは三日前に、島守博物館にいらして、島守地区で発掘されたものに関心あり、研究員の方に熱心に質問されていたらしいですよ。アントニオさんは、ほんとに何を考えている方なんですかね。―

 熱弁はいいのですが、アントニオさんは、前歯が隙いていて、さ行と、た行の発音のとき、唾が飛んでくるんです、わたしはそれを必死に避けながら聞いていました。

 アントニオさんは一息入れようと、コーヒーを出してきて煎れてくれました。
 よほどコーヒーがお好きらしく、サイドボードには、いろんな種類のコーヒーが並んでいました。
「ほれ、あんたも飲んだらいいよ」
 と、わたしにカップを渡すとき、コーヒーを自分の着物にこぼしたんですが、それを手で、パッパッと私の方に向かって払う、飛沫が飛んでくるんですよ、そんなことを構わずアントニオさん。
「ズズズー はぁ〜ぁ」 
 と、すこし下品、お年寄りはこんなところからも嫌われるものですよ注意しましょう。
 コーヒーを一口啜ったあと、遠い昔を思い出すように話し出しました。

「私がねぇ小学生のころでしたねぇ。”とうもろこし”を植えるということで父と一緒に畑を耕してたんだ。わたしはトウモロコシが大好きでね。どっか遠くに出かけるときはバッグに必ず入れておくんだ…、余計なこと言ってすまないね」
 ― まぁそこはどうでもいいですけど…。― 
「畑を掘っていたらねぇ、サッカーボールくらいの大きさの器が出てきたんだ、縄の模様なんかあったりしてねぇ。
 父に、「これをどうすればいい?」といったら、父はその器を角度をかえながらしばらく見ていた。土を払いながらねぇ、そして。「砕いてそっこら辺に投げておけ」 と言う。わたしはその器を砕き、破片をどれだけ遠くに投げられるかって、投げて遊んだ。 それから二日後だったなぁ。とうもろこしの種を蒔こうとしている時に。「この辺を調査させてもらいたいが」 と、ずいぶん威張ったような感じの人が来てね、名刺を父に渡してた。父は困ったような顔をしてたが、その人は父に何度か頭を下げていた。結局その人の、「ありがとう」で話はきまったらしい。そんなことで、とうもろこし の植え付けが出来なくなってしまった。残念だったなぁ〜ほにほに。 翌日教授は家来を連れて来てねっ、いや家来じゃなくて助手だな。どうやら大学の教授らしい。二人で土を掘り始めた。とうもろこしの植え付けを手伝いに来たのかと思っていたのに、ほにほに。 教授はあの器の破片を見つけた、興奮している。見つけた周りを何度も何度も落ち着きなく歩く。こどものわたしには怖いくらいにね。「この破片は最近欠けたばかりだよッ」と、ぶつぶつ一人言を言いながら、父を睨んでいるようにも見えた。ほかの破片を探す。この人は頭がおかしいんじゃないかと思った。ぶつぶつ一人ごとを言ったり、なにも花瓶が必要だったらお店に行って買えばいいものを、そんなに値の張るものじゃないし、古いものより新しいものが良かろうが、とそのときはそう思ってた。 その日は見つからなかった。 翌日から調査員をどっと増やし、15人体制で土堀り、大ごとになった。父は教授等に呼ばれ、土を掘った位置とか、残土を捨てた場所などを細かく聞かれた。雨の日も続けられた。 父はわたしにこっそり言った。「あの器のことは聞かれても知らないと言うんだぞ」 父は、わたしたちを育てるのが精一杯で、秋に実る“とうもろこし”を期待していた、土器は関係ないのである。 畑は荒らされたままの状態で二週間の調査は終えた。「ありがとう、感謝いたします」 で、教授たちはそのまま帰っていった。 
 とうもろこしはどうなるんだ。その畑に『立ち入り禁止』の札が立った。その年は、とうもろこしは作れなかった。本当に残念だったよあのときは〜ほにほに。
 それから40年経った。息子の入学願書をもらいに岩手大学に行ったときのことだった。何気なく考古学を研究しているってところに足が向いたんだぁ。そこで見た物は! 子供の頃に投げて遊んだあの”器の破片”、破片が集まって、あの”器”が半分以上形を成していたのだ。40年経った今でもあの器のことは覚えている、間違えなくあの器だ。”9000年前“の土器、と記されている。あの時のあの人たちは岩手大学の教授だったのだ。教授たちがどれだけ必死になって破片を探したかは、今なら理解できるが。しかしよくもあれだけの破片の数を集められたものだと、教授たちの執念に感心させられた思いだった。あの破片を投げた方向を今でも思い出せる、覚えてる。探せば、もしかしたら全部集められるかも知れない。実際に形としてあったのだから。
 だが、今でもそのときのことは話す気がしませんなぁ〜。道路を作る計画で土を掘り始めたが、そんな土器が出てきたために作業は中止になる。もちろん作物も同じだ。勝手に他人の土地をほじくり、後始末もしないで帰って行く。息子にも、器の話をすることはなかったよ。世界には、貧しくて食べる物もなく死んでいく人たちもいる。考古学者に限らず、直接人間の生活に関係ないことにお金をかけてなぁ…、まぁほにほに。
 あぁそういえばこの前、こんなことがニュースになっていたなぁ。土器を発見したといって、前もって自分で埋めておいたものを掘り出し、世に名を売りたいがために”恥を売って顰蹙を買った”人」

 アントニオさんはときどきこんな洒落を言います、ユーモアがあるんですね。 
 この後も、とうもろこしについては、相当くやしい思いをしたらしく、“とうもろこし”の言葉が何回も出てきました。夢にまで見るとか。夢の中でとうもろこしを食べられない場面があると、翌日一日中機嫌が悪いとか。今でも夜店にでも行けば、必ずとうもろこしを買って食べるそうです。また、“トウモロコシの歌”なども作曲されたとか。これは完全にやり過ぎですね。
 わたしは何を取材に伺ったのか分からなくなりました。入社して初めて記事にならないものに当たってしまったようです。『奇人変人』欄でもあれば、そちらに回せば、もしかすれば当たるかも…、と思いながら、帰ってから、何て編集長に報告したらいいか。
 熱弁は続きましたが、終わりそうもないので、タイミングを見計らい、お暇をしました。 
 来たときは気がつかなかったのですが、庭には、とうもろこし”の苗が植えてありました。
  苗は私を笑顔で見送ってくれました。
                 
                     アントニオ省三
                                   
                                               
平成15年作