33度あった日。関東地区12チームのトーナメント。3連投して優勝した。もちろん最優秀投手賞をいただいた。

何球投げても疲れを知らなかった。22才のころ



↑球はここ

空振り

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昭和39年8月3日(日)専売品川地方局グラウンド  ヒットに見えますが、空振りでした

 日本たばこ産業(元東京たばこ配送KK)には関東に12チームありました。私は横浜チームで、この頃野球を始めました。
 日本たばこでは毎年お盆近くに大会をやります。野球を始めたときから、朝8Kのコースを一日も休まず走って、それから出勤。仕事は四時ころに終わる。そのあと300球くらい投げ込みを毎日やりました。
 最初の年にショートを任せられました。決勝戦まで進み、同点の最終回、ツーアウトランナー3塁。ショートに大きく弾んだツーバンド球を突っ込んで捕球、がグラブからこぼれゲームセット。自分のエラーになってしまい責任を感じました。後で考えると捕球していても軟式ボールの大きく弾んだあの時のボールは、タイミング的には間に合わなかったものですが…。
 翌年エースだった八鎌さんが本社に転勤になりました。本社は少しずるい感じがします、有力な選手を本社に転勤させているところがありました。
 さて横浜チームの今年のピッチャーは誰にしようか、会議が開かれました。そのとき私がふざけ半分に「俺がやるよ」と言ってしまいました。野球を初めて二年目の私はほんのふざけたつもりで言ったんですが、エースの八鎌さんが、
「省、お前やってみろ、重い球を持っているからいいと思うよ」
 といったところ、捕手の仁さんも、
「省ちゃんはいい球を投げているからやってみろ」
 と言われ皆んなも賛成してくれました。
 大会は8月3日、江戸川球場四面を借り、12チーム揃いました。組み合わせの結果、何と連覇を続けている本社と第一試合に組まれました。誰もが予想では本社でコールドゲームになるだろうでした。大方は、
「横浜は誰がピッチャー?。えっ山本、あれ去年からはじめ奴だろう」
 当の本人も本社には太刀打ち出来ないと思っていて、大会のあとの反省会で飲めることを楽しみにしている始末。
 ところが一回戦は本社に4−3で勝利。誰もが予想していなかったもので、たちまちのうちに他のチームに伝わり、一回戦で敗戦したチームが横浜戦を観に来てくれました。本社の昨年まで横浜のエースだった八鎌さんも横浜ベンチで私にアドバイスを送っていました。第二試合も強攻な板橋チーム、ここも6−4で勝ちました。決勝戦では八王子チーム。八王子チームはシードで2試合目。この時になってやっと。…もしかしたら優勝できるかも知れない…と思いました。結果8−3で優勝。
 気温はお昼頃には34度。他のチームの中には試合途中で足を攣らせてダウンする選手もいました。横浜には他にピッチャはいません、仲間も決勝まで進むとは思っていなかったようです。つまりは一人で三試合を投げて優勝です。
 この歳になって、あの頃の体がピークだったんだな〜って思います。いい思い出です。野球っていいね。

怖いもの知らずで投げていた。打たれる気がしなかった