むかしはお祭りの揃いのゆかたや袢天なんてえものは無かった。山車を引っ張る若い衆は消防の揃いの柄の染め抜かれた長袢天をさっそうとなびかせて歩き、町内の年寄り達は黒の紗の羽織に山高帽をかぶり、子供達は家にあるお囲いのゆかたにはちまきを締めて、みんな綱にしがみついて歩いたものだった。

昭和元年       

そんな頃、鍛冶町の人たちはチョイと小粋な揃いのゆかたに豆絞りのはちまきを新調し、山車を引いて歩いたものだから他の町内もこぞって真似てゆかたを作るようになった。
子供の格好だって又しかり。昔はみんな家にある着物で、ゆかたがあればまだいい方で、なかには普段の格好のまま来る子供もいた。でもみんな鼻白(鼻筋に白いおしろいをキュッと塗る)つけて元気に引っ張った。
頭にかぶる花笠なんかも経木に赤く色を塗って竹の輪っかに止めて全部手作りしたものだ。
鍛冶町の大人たちは「子供達にも揃いの袢天を…。」と言って今風の短い紺染めの袢天を作って初めて着せた。それから八戸中の子供達が、今みたいな祭り袢天を着るようになったわけだ。鍛冶町には今でもその時代の袢天が大分色はあせたけれどそのまま残っているそうだ。

       平成元年