祭の衣装
祭囃子を聞くと血が騒ぐのは、なにも江戸っ子ばかりじゃあありませんよ。
八戸三社大祭でも笛や太鼓の音を聞くと、もう気持ちは上の空、仕事が全く手に付かず、いても立ってもいられなくなってしまいます。
ようやくみんなの手で作り上げた山車を引くために、糊の利いたパリパリの半纏や浴衣に袖を通した時などは、思わず背筋がしゃっきりと伸びて身震いがいたします。
ここでは鍛冶町自慢の半纏と祭り浴衣を紹介しましょう。

 

◆祭りの浴衣◆

祭り浴衣は明治25年に町内の若い衆がそろいの浴衣に豆絞りのはちまき姿で山車を引いたことが記録に残っておりますが、その当時の浴衣は現在残っておりません。今ではどのような柄だったのか知るよしもありません。しかし、その後、何度か作り替えられ現在の浴衣になりました。

男の人は浴衣に角帯、白足袋に草履履き。
女の人は赤いおこしに浴衣を短く着て黄色の半幅帯を締めます。
お囃子の人はそれに黄色のたすきを掛け、華やかないでたちで、みんなそろって山車を引っ張ります。

◆祭半纏◆

鍛冶町の半纏は「町内の子供達にもそろいの衣装を...」と言うことで、その当時の町内の親方さん達によっていち早く作られました。
半纏のデザインは全体に「鍛冶町」の短冊(千社札)が散らしてあり、腰には「四の字崩し」があしらわれています。
当時は祭の中心は町内の消防が行っておりました。その頃の消防の組み分けは「鍛冶町四番組」 普通「四」の字は「死」に通じるといって忌み嫌ったものですが、鍛冶町ではこの四番組の「四」の字を長者山の御紋章「武田菱」になぞらえてひし形にして「四の字崩し菱」として半纏に付けました。

 

      

 

昔の半纏
現在の子供半纏
色はだいぶあせてはおりますが、腰にははっきりと「四の字崩し」が見えます。藍染めの色が何度も洗っているうちに鮮やかな青に変わりました。
基本的には変わりませんがよく見ると短冊の位置が違っていたり腰の紋が長者山の武田菱に変わっています。
 
長者山の御紋章である武田菱の紋。   火消しの四番組の四の字をデザイン化して「四の字崩し」の紋とした。

 

大人の半纏には「鍛冶町若者連」ですが、子供達の半纏には「鍛冶町子供連」の文字が...子供だってちゃんと祭の主役なんです。

 

半纏は「絆纏」の当て字にもあるように「絆(きずな)」を「纏(まとい)」つまり「きずなをまとう」という深い意味が込められています。祭を通してお互いの固い絆で結ばれた仲間の印。それがこの半纏なんです。鍛冶町の伝統と誇りを背負って胸を張って着こなしたいものです。