15年度の山車

新京劇「揚貴妃と阿倍仲麻呂」

解説
 山口県油谷町に伝わる話の中に =奈良朝の昔、中国の玄宗皇帝の愛妃揚貴妃が安禄山の乱を逃れて唐渡口の浜に流れ着いた。村人達は息絶え絶えの姫を手厚く看護したが、その会もなく間もなく亡くなってしまった。村人達はこの姫を西の海が見える久津の丘の上にねんごろに葬り弔った。= という伝説があります。
 中国の京劇の役者であり胡弓演奏者、演出家でもあるウー・ルーチンはこの伝説を聞き自らが原案を作り、企画・演出を行い《日本と中国を結ぶ美しい使者 揚貴妃と勇気ある若者阿倍仲麻呂》のイメージを元に新しい京劇を作り上げました。ウー・ルーチン自らが主演する新京劇の中国公演では「戯曲の革命」として最大級の賞賛を受けました。
物語
 時は西暦755年、唐の都は「長安」。
  都の宮殿「通明殿」では、玄宗皇帝が絶世の美女で名高い妻・揚貴妃らと共に華やかな宴を設け、貢ぎ物を供えた各国の使節を歓待しておりました。その中に日本の遣唐使「阿倍仲麻呂」の姿もありました。揚貴妃は傲慢な女性であると聞いていた仲麻呂でありましたが初めて見る揚貴妃は美しく才能豊かで、しかも思いやりのある女性でもありました。そして揚貴妃も、この日本の遣唐使の魅力に心うたれるものを感じたのでありました。
  その年の11月、玄宗皇帝の腹心である安禄山(あんろくざん)が乱を起こしました。
玄宗皇帝たちは蜀(しよく)の国へ落ち延びようと長安を後にしましたが、途中、近衛兵(このえへい)たちに揚貴妃こそが国の乱れの元凶であるとして、揚貴妃の処刑を求められたのであります。しかし、随行していた阿倍仲麻呂はこの騒ぎの中、揚貴妃と共に手を取り合いながら密かに大海原に逃げ出すのでありました………。

 

最新の山車