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八戸地方には義経北行伝説があります。 | ||||
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平安時代末期、源義経は、兄頼朝と対立し平泉に落ち延びたものの、頼朝の追及から逃れることができず自刃したと言われていますが、実は、平泉から密かに脱出して海路八戸にやって来たとされています。 | ||||
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文治年中4月中旬、難を逃れて、御所を密かに忍び出た義経一行は、気仙から海路下られ八戸の浦へと上陸し、 源治囲内という地名は源氏の屋敷という意味だったといわれ、義経一行が舘越に居を移す前に、法官氏の世話で住んでいたところといわれています。 (アクセス) JR白銀駅から100m |
(2005年7月9日撮影) |
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(2005年7月9日撮影) |
種差海岸にある熊野神社です。 気仙の港から海路北上した義経一行が、種差海岸に上陸して休憩した場所と伝えられています。 (アクセス) JR種差海岸駅から南へ1km 市営バス種差生活館前停留所から西へ350m |
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気仙から海路八戸に下られた義経一行は、新井田川沿いの舘越に小家をこしらえ、1年余りお住まいになられました。 県道沿いの小川には、「メドツが出るぞ」と注意を促す看板が立っていました。 ※ 「メドツ」とは、八戸地方の方言で「河童」のことです。 (アクセス) 市営・南部バス田向停留所付近 |
(2004年6月27日撮影) |
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(2004年6月27日撮影) |
諏訪の森です。 新井田川河口の諏訪の森には、弁慶が舟をつないで休んだという手形のついた岩があります。 (アクセス) 市営バス諏訪河原停留所から南へ150m |
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義経一行は、舘越に1年余りお住まいになった後、高舘に引っ越されました。 義経公は、ここに館をつくり‘高舘の御所’と呼びました。 (アクセス) 市営・南部・十和田観光バス高舘停留所付近 |
(2005年7月9日撮影) |
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義経公は、毘沙門天の信仰が厚かったので、高舘でも毘沙門堂を建てました。 毘沙門堂は、のちに福田山徳城寺となり、明治初年の神仏分離で小田八幡宮となりました。 (アクセス) 市営・南部・十和田観光バス小田停留所から西へ100m |
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小田八幡宮の奥の院、毘沙門堂です。 |
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(2004年6月27日撮影) |
小田八幡宮にある、義経堂です。 |
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長者山にある 板橋長治と喜三太は、義経公の住まいとして長者山に樹木を植えたり柴垣などを作り格好な舘を作るばかりにしておきました。 板橋は義経に心をよせ討たれた泰衡の弟泉三郎忠衡の母方の叔父にあたります。 長者山は、長治山が転訛したものと言われています。 (アクセス) 市営・南部バス吹上停留所から西へ300m |
(2005年8月6日撮影) |
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(2004年6月27日撮影) |
類家の藤ヶ森稲荷です。 義経公は、京都の‘藤の森の稲荷’を勧請しようと常陸坊海尊を京都に遣わし、一握りの土を持参させ、この地を‘藤ヶ森’と名付け稲荷の祠を建てました。 (アクセス) 市営バス柏崎小学校前停留所から南へ50m |
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類家帽子屋敷にある芭蕉堂です。 義経公がお住まいの高舘から藤ヶ森まで2里あったので、稲荷の社に小屋を造り一両日逗留しました。 その茅の小屋が家に類似しているところから‘類家’という地名が起こりました。 また、義経公が‘類家’に烏帽子や狩衣をかけたりしたことから、烏帽子屋敷と呼ばれ、のちに‘ぼっちゃしき’になりました。 (アクセス) 市営・南部バス一中前停留所から北へ500m |
(2002年8月25日撮影) |
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(2004年6月27日撮影) |
売市の矢止めの清水です。 義経公が、お住まいになっていた高舘から、弁慶に矢を射させたところ、矢は馬淵川を越え、対岸の大地に深く突き刺さりました。 その矢を引き抜いた跡から、清水がこんこんと湧き出しました。 (アクセス) 市営・南部・十和田観光バス緑ヶ丘停留所から北へ400m |
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内丸にある 義経一行が高舘に移ってまもなく、旅のつかれから北の方の久我ノ大臣の姫君が亡くなられ、京ヶ崎に葬られ、法靈大明神とあがめられました。 龗神社がその場所と言われています。 龗 神社には八戸の義経伝説の記録「類家稲荷大明神縁起」が所蔵されています。 (アクセス) JR本八戸駅から南へ300m |
(2004年6月27日撮影) |
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(2005年7月23日撮影) |
内丸にある 力自慢の弁慶が足型をしるしたという弁慶石が残っています。 (アクセス) JR本八戸駅から南へ350m |
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義経、弁慶、亀井六郎が奉納した弓、矢、金剛杖、軍扇、赤毛の引敷、兵術の書、鞍などがありました。 義経にゆかりの御前神社は新井田川川口にありました。 写真は小中野に遷座後の御前神社です。 |
(2004年6月27日撮影) |
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